死者と、亡者

 ミラノは、海が臨める小高い丘の上にいた。
 巡察の途中、周囲を振り切ってここまで来たのだ。ここへは、一人で来たかった。
 ミラノの前には、石碑のようなものがある。キリエの墓だ。
 キリエは大空が好きだったが、海も好きだった。
 墓といっても、この下には彼女の相棒アルの羽根一枚しか埋まっていない。帝都凱旋門での戦いで、自分たちを守るためにその身を犠牲にしたからだ。当然、ここがキリエの死んだ場所というわけではなく、ただ彼女の故郷に近いだけの丘に過ぎない。
 そんなところへ、自分はキリエに物を言いたいから来ている。墓というものは、死んだ者のためにあるのではなく、生き延びてしまった者のためにあるのだなと、ぼんやりと思った。
「キリエ、お前が見たいって言ってた、戦いのない世界……まだだ。すまねえ」
 ミラノは少し俯いて、花束の一つでも持ってくるんだったと少し後悔した。
「俺が、ここにいるせいかも知れねーけどな。だけど、ひょっとしたら、ユグドラならできるかもって思うんだ」
 何かないか、と見回すと、視界の端に、ひなげしの花が入ってきた。
「お前がどこまで本気で戦いのない世界とか言ったのかは俺にはわかんねー。だけどよ、お前がユグドラを見込んだ目だけは確かだったと思うぜ。戦いは確実に減ってる。今は、ちょっと予想しないところから騒ぎが起こって動揺してたみたいだけどよ」 
 一輪、ひなげしを手折ると、しゃがみこんで墓に供えた。そういえば、キリエは濃い色の花が好きだった。
「ま、気付いたからにはなんとかするだろ。あいつはちゃんと解決しようっていう気があるからな。偉いさんによくある、自分さえ良ければってのがねーしな」
 そういえば、キリエがことあるごとに王国や帝国に噛み付いていたのは、そういうが気に入らないからだった。キリエたちの先祖は元々は肥沃な王都のあたりに住んでいたらしい。それが数で勝るユグドラたちの先祖に追い出されてしまった。他の住みやすい土地は帝国なりなんなり、元々の住人が居た。結局、仕方なくこのロスト・アリエスという荒れた土地にキリエたちの先祖は住むことになったが、彼らをそこへ追いやった王国の貴族たちは誰一人としてそのことを省みることはなかったと聞いている。
 ミラノにとっては自分が生まれる前の話などどうでもよく、単に生まれる時にツいていたかツいていなかったかでしかないと思っている。だが、キリエはこだわった。孤児だったキリエを育てた孤児院の長は彼女とは違い、普段は神の使いか何かのように温厚な人物だったが、王国に先祖が追われたことにだけはやたらと感情を剥き出しにした。キリエもそれに影響されたのだろう。王国も帝国も余所者には冷たかったから、キリエの思いにもうなずける部分はある。けれど、ユグドラは違った。帝国を攻めながらも、帝国の民のことも考えていた。それはキリエもわかってくれていたと思う。だからこそユグドラが言う「戦いのない世界」なんて絵空事に同調するようなことを最期に言ったのだ。そう思いたい。
「それじゃあな。こんな話でもなかったら、ちょくちょく来れると思う」
 一陣の風が吹き抜けた。ミラノは、それをキリエの返事だと思うことにした。

 突き出した無数の巨岩の間を縫い、赤茶けた地肌が剥き出しの荒地をぶらぶらと歩いて、城壁の側まで辿り着いた。正面の門から戻ると騒ぎになるのが目に見えている。ミラノは盗賊の頃の経験を活かして、城壁が低くなっているところからよじ登り、ノルデンラント城市に入り込んだ。そのまま巡察の続きをしようと通りがかった十字路で、不意に声をかけられた。
「伯爵様、お花はいかがですか?」
 供さえいなければ自分は伯爵様になど見えないと思っていたが、案外そうでもなかったらしい。腰まであるブロンドを揺らして、花売りと思われる女はにっこりと微笑んでいた。
「おいおい、俺に花が要るように見えんのかよ」
「ええ。素敵な殿方は素敵な女性にお花を贈りませんと。これは義務です。女性よりも殿方にこそ、お花は必要ですよ」
 そう言った花売りの左手は、目立たないように規則的に動いていた。この動き、忘れるわけがない。ミラノ盗賊団が仲間に注意しろと伝える時のサインだ。
 だが、ミラノ盗賊団に女が存在したことはない。だから、この合図を知る女はユグドラと、あと一人だけだ。
 ミラノは左手を握ると、三回上下に振った。「了解」の合図だ。
「そこまで言われちゃ、買わねーわけにはいかねーな。とびきりのやつを花束にしてくれ」
「ありがとうございます」
 花売りは満面の笑みを浮かべて礼を言うと、花束の準備を始めた。
 その横顔は、とても自分の知るあの女には見えなかった。
 もう、こんな仕事はしていないだろうと思っていたが、腕はまったく衰えていないようだ。密かに、続けていたのか。しかし、こいつがここに来たとなると……あまりいい話を持ってきたとは思えない。
「何か私の顔に付いておりますか?」
 ミラノが視線をまったく動かしていないことに気付いたか、花売りが向き直った。
「あ、いや……何でもねえよ」
「そうですか? 慣れない化粧をしたものですから、どこか変だったのかしらと思いまして」
 花売りは無駄口を叩きながらも慣れた手付きで花束をまとめると、「どうぞ」と言ってミラノに差し出す。
 ミラノは花束を受け取ると、懐から銀貨を一枚取り出して花売りに差し出した。何か言おうとする花売りを制して「面倒臭せーから、釣りは取っとけ」と言い放つと、きびすを返した。
 背中に花売りの礼を受けながら、香りを嗅ぐふりをして花束の中を覗いてみると、隅に紙切れが入っている。確かにずっと目の前で花束をまとめていたはずなのだが、いつ入れたものか、まったく気付かなかった。器用なものだ。
「こういうのは俺も得意なつもりなんだが、やっぱり本職にはかなわねーな」
 何が書いてあるのかの確認は一人になってからするとしよう。ミラノは花束の有効な利用法を思い付いたので、宮城を背にして歩き始めた。途中で焦ったコブンが率いる部隊に見つかり、手ひどく叱られて目的地には辿り着けなかった。柄にもないことは、するべきじゃないと思った。

 その夜。
 ノルデンラントの城を見下ろす小高い丘の上に、月に照らされてぽつんと高い木がそびえている。
 その下にひとつの人影があった。
 ミラノは無造作にその人影に近づいていくと、ひょいと右手を上げた。
「よお、久しぶりだな」
 影が振り返る。女だ。
 今度は、以前と変わらない顔だ。肩まで伸びた藍色の髪をカチューシャで押さえ、額を見せている。
「お久しぶりです、ミラノ……さん」
 そう言う口の前に、掌を突き出した。
「エレナ、ミラノでいいって言ったろ?」
 困り顔のような笑顔で、エレナは言った。
「そんなことをおっしゃっても、ミラノさんは今は伯爵様ですし……」
「伯爵様だろうが盗賊様だろうが俺は俺だ。だけどよ、お前こそ、なんだ、こーとーゆーみん? だか、なんだかそんなのになってるって聞いてたけどよ」
 エレナは含み笑いを見せた。
「高等遊民ですか? 勿論、それはフェイクです」
「だったみたいだな。だけどよ、本当ならお前は貴族ぐらいになれててもおかしくねーはずなんだが」 
「帝国打倒に功あれと言えど、その帝国の、特殊工作部隊員でしたからね、私は」
 エレナの寝返りがなければ帝国最大の要塞イシュナートの陥落はなく、おそらく王国の勝利もなかった。その功は決して小さなものではない。が、それに相応の褒賞で報いようとするならば、大きな反発が起きることが予想された。何と言っても元々は敵であったのだし、しかもしばしば卑劣な手段をとった工作部隊の人間だ。それを感情的に許せないと思う者はかなりの数になるだろう。
 そこで、ユグドラはエレナを自分の一御伽衆、つまりは相談役とした。彼女には一寸の領地もないが、自分一人が遊んで暮らせるぐらいの収入は保証されたわけだ。
 エレナは不服を漏らすことなくこれをありがたく拝し、遊んで暮らしているという風を装うことで周囲には自分が無害であると見せている。だが実際は、ユグドラ直属の隠密として動いていた、ということか。
「エレナがいなかったらどうなってたかわかったもんじゃねーのに。まったくよ、この国の貴族どもにはヘドが出るぜ」
 エレナは目を伏せて、自嘲するように笑った。
「富、権力の奪い合い、この国に限らず、貴族の習性のようなものです。私の兄も、それで変わってしまいました……」
 兄、と言われて一瞬ピンと来なかった。ようやく名前が思い至り、ミラノは口を開いた。
「レオンが、か?」
「ええ、小さい頃は私が困っているとすぐ助けてくれる、優しい兄だったんですよ」
 ミラノが知る黒騎士レオンは粗暴の塊のような男で、弱者をいたぶるのに何の躊躇もなく、およそ騎士の誇りなどとは無縁。優しさなどは不要だと言わんばかりの人間だった。
「言っちゃ悪ぃかも知れねーが、意外だな」
 そうでしょうね、とエレナは言うと、自分で自分の体を抱くようにして目を伏せた。
「兄が変わってしまったのは両親が流行り病で死んでから……まったく、別人のようになってしまいました。多分、私の知らないところで、今の私でないとわからないような戦いをしていたんでしょうね。父の領地が、気が付けば叔父の領地となっていたこともありました。今思えば、兄も被害者だったのかも知れません」
「えっ……と」
 ミラノは言葉に詰まった。エレナの兄レオンを討ったのは他でもない自分だからだ。エレナは非道な兄を討つと息巻いていたが、自らが血を分けた肉親が殺そうというのは、ミラノには何かが違うと思えたのだ。ミラノはわざとエレナの射線をさえぎるようにレオンと剣を交え、斬った。黒騎士が放った断末魔、呪いの言葉は、今も脳裏に焼き付いている。それは、自分ではなくエレナに向けられたものだった。
「……ミラノさんには感謝しています。兄は私が討つつもりでしたが、あの時の私はやはりどこか、地に足がついていなかったように思います」
 エレナが帝国から離反するきっかけとなったのはレオンの狙撃失敗だ。だが後から考えてみると、エレナの腕前からして、本来あの状況で外すわけがなかったのだ。なのに外して、エレナは帝国から逃げる羽目になった。やはり、兄を討つのにどこか躊躇があったに違いない。
「すみません。もう終わった話をしても、仕方がないですね」
 ミラノはどう返事したものかわからず、そのままエレナの次の言葉を待った。
「それで、その、キャヴェンディ家のことなんですけど」
「ああ」
 エレナは口を開く前に周囲を確認した。丘の上は開けていて、遮蔽になるのは木が一本だけ。夜とはいえ、今日は満月だ。声が聞こえる範囲に何者かがいれば、見つけられないことはない。
「黒……でした」
 黒。つまり、キャヴェンディがセンディーを動かし、ノルデンラントを襲わせたということだ。
「そうか」
 怒りを覚えたのを悟られないように、そっけなく返事をするつもりだったが、声に必要以上に力がこもっていて、ミラノは自分でも驚いた。ユグドラは、王は、戦いのない世界を作りたいと言ってるのに、一番の家来が、一番ユグドラを支えなきゃならない奴がユグドラの思いと逆のことをしている。許せなかった。何のために、あいつらはいるのか。
「センディーに宛てた書状ですとか、そういった揺るがぬ証拠、みたいなものはありませんが、充分だと思います。まず不必要に大量の武器を隠し持っています。食料庫のはずの建物に、槍や剣が山のようにありました」
「そりゃあ」
 ミラノの言葉を奪うように、エレナは続ける。
「そうです。そこにあった武器は、ミラノさんがセンディーと戦ったときに鹵獲したものとほとんど同じものでした」
 キャヴェンディが、直接回していたのか。だが、あれだけ量の武器を通してしまうほど、ノルデンラントの警備は間抜けだったとは思えない。両薔薇領のロザリィも抜け目のないやつだ。すると、エンベリア回りか。あの辺りは小さな島がやたらたくさんある。警備を縫うように、島に隠れながら運ばれたら見つけようがない。エンベリアの先はどこへ向かっても海だから、警戒が甘くなっても仕方がない。
 エレナはミラノの相槌を待っていたようだが、応答がないので、先を続けた。 
「加えてパーシバル卿の証言もあります。陛下が見つけた『キャヴェンディが授く』の剣は、パーシバル卿にも与えられていました」
 パーシバル。デュランの士官学校の同期で、今はユグドラの命によりキャヴェンディの下で兵をまとめている男か。迂闊過ぎる。パーシバルは確かにキャヴェンディの部下的な立場だろうが、キャヴェンディの家来ではないのに。
「パーシバル卿はこう言っていました。『私の忠義は王国に捧げられているというのに、何か勘違いをしているらしい。だが、断って逆恨みを受けるのもつまらない。ありがたく受け取ってはおいたが』」

<続く>

Yggdra Union - After - Chapter : 7