剣と、王

「四百頭ほどの馬を鹵獲しました。戦馬として使えるのは二百ほどですね。なかなか質の高い馬です。センディーは本気だったのでしょう」
 ミラノとユグドラはは本営の幕舎で、ヒューゴーらの報告を受けていた。
「じゃ、しばらくはまたこっちに攻めてくる余裕はねーかな」
 ヒューゴーは頷きながらも「油断はなりませんが」と付け加えた。ミラノも首肯する。
「残りの二百は民生用として領民に分け与えましょう」
「そっちは任せた。次」
 ユグドラはこの辺りの細かい事情を知らない。自然、話の中心はミラノとなる。
「武器の方なんですが」
 コブンが進み出る。
「剣を四百ほど回収しまして、三百は使い物になるかと思います。後は使い物になるだけで盾が五十、槍が二百、弓が、これはちょっと使い物になるかどうかがわかりづらいのでまだ単に回収した数になりますが、三百ほど」
 斥候から受けた報告では、センディーの再襲来はなさそうだった。そのため、ミラノは弛緩して報告を聞いていたのだが、今のコブンの発言は引っかかった。
「ちょっと待て」
 多過ぎるのだ。
「四百回収して三百使い物になりそうだ? ダメそうなのは拾うなってわざわざ命令したのか?」
「いえ、そんなことは」
 そのはずだ。壊れた剣でも鋳直せばいくらでも使い道はある。鉱山より鉱石を掘り出し製鉄する、それよりはずっと容易な鉄の調達法だ。ユグドラはミラノが何に引っかかっているのかわからないようで、不思議そうな顔で覗き込んでくる。
「ちょっと見せてみろ」
 コブンに従い幕舎を出ると、広げた布の上に、剣が野積みにされていた。ユグドラはミラノが気になっていることが何か見定めようとしているのか、しげしげと眺めている。ミラノは中から一本拾い上げると、訝しげに見ていたが、不意にそばにあった岩に斬りつけた。
「親分、何を?!」
 高い金属音。岩に小さな傷を付け、剣は折れた。困惑しているコブンに、ミラノは折れた刃を見せるように剣を近づける。
「鋼じゃねーか、これ」
「鋼ですって……?」
 ヒューゴーの声はかすれていた。
「そうだ。ただの鉄だったらこうはならねー。曲がるだけだ」
 鋼は硬いが、もろい。鉄は逆に、硬さでは劣るが粘りがある。
「でも親分、これまでは」
「ああ。あいつらは鋼は持ってなかった」
 センディーは何らかの手段で鋼を手に入れたことになる。
「じゃあ」
 何らかの手段とは何か。見回すと、どの将校の顔にも、同じことが書いてあった。ミラノはわざと大きな声を出す。
「ワケなんて今考えてもわかるかよ。あいつらが自分で考え出したのかも知れねーな」
 冗談のつもりで言ったが、コブンもヒューゴーも、他の将校も誰一人笑っていなかった。
「ま、何にしろ帰ってから調べるしかねーよ。他に報告はねーか?」
 将校らは顔を見合わせたが、特に発言は出なかった。ユグドラが静かだと思ったら、何やら一本の剣を真剣に眺めている。だが、ユグドラも何も言わなかったので、気にしないことにした。
「じゃ、今日は解散だ。不寝番以外は好きにして良し。俺はもう寝る」
 ミラノはひらひらと手を振って踵を返すと、足早に自分の幕舎へと向かった。

「帝国、だな……」
 寝台の上で、折れた剣を睨んでミラノはつぶやいた。
 冗談でミラノは言ったが、センディーが自力で鋼の製法に辿り着くなどありえない話だ。辿り着いたとしても鋼を作るのに必要な高温を作り出せる炉がセンディーに存在しない。センディーは鋼を作れないのだ。
 鋼鉄の技術を持つのは、王国、メリア教国、そして滅んだ帝国のみ。
 両薔薇領は多数の魔法兵が操る魔力、エンベリア公国はウンディーネが操る冷気こそが主力の武器であって、鋼鉄を必要としなかったのだ。
 メリア教国は王国の古くからの盟友である。センディーに鋼を提供するメリットがない。距離もあるし、何より間に王国を挟んでいる。まず、メリア教国の線はないだろう。
 民間でセンディーとの間に交易が始まっているが、武器の輸出入は強く禁じている。最近は国境に配備した兵を最低限にしてはいたが、警備自体は緩めていない。密輸を許しているようなことはないはずだ。
 となれば、残る可能性は帝国残党しかありえない。しかも相当に組織的なもの、だ。
 ミラノは舌打ちして、握っていた剣をテーブルの上へ投げた。ゴトリ、という音とミラノが寝台へ体を投げ出す音が重なる。
「やりたくねー仕事が増えそうだな……」
 旧帝国領において、叛乱の鎮圧は行っていたが、残党狩りのたぐいはしたことがない。
 ユグドラがそれを命じなかったのは、彼女が天使に叡智をもって地を治めることを誓ったこともあるが、その必要がなかったことも大きい。
 皇帝ガルカーサには妹エミリオを除き身寄りがなかった。いや、ガルカーサが前の皇帝を廃したのはガルカーサの血縁が粗略に扱われ命を落としたからで、ガルカーサは身寄りを奪われたというのが正しい。
 そのガルカーサも、エミリオも王国軍の前に落命した。前の皇帝の血族はガルカーサがことごとく粛清していた。帝国民に求心力を持つ、指導者となるべき存在は、この地上からまったく消え失せていたのだ。
 しかし、帝国残党がこれまでのような小規模な反乱ではなく、センディーを煽動して王国転覆を企むのならば。
「叡智による統治なんて言ってる場合じゃなくなりそうだな……」
 目の前が暗くなるような気がした。起きていると、余計なことを考える。燭台の油もそう無駄にしていいわけではない。
 ミラノが燭台に手を伸ばそうと起き上がるのとほぼ同時に、入り口から影が飛び出した。
「ミラノさんっ!」
 その声にミラノが振り向いた瞬間、ミラノは体当たりを受け倒されていた。
「おま、ユグドラ! 何しやが……」
 ユグドラが伏せていた顔を上げた。瞳に光る涙に、ミラノの言葉は中断する。
「私は、私は……」
 ミラノはしがみつくユグドラごと、体を何とか起こした。
「落ち着け。何があった」
 ユグドラは、ミラノの声が聞こえているのかいないのか。強くかぶりを振って言葉を継いだ。
「私は、結局何もできてない」
 ユグドラの唇が自嘲するように歪んだ。
「私は、外敵ならともかく、内に敵を作ってしまっていたことに気付かなかったなんて……」
「ユグドラ……」
 ユグドラの力が緩んだ。その時はじめてミラノはユグドラの右手に剣が握られていることに気が付いた。ミラノが問う前に、ユグドラがその剣を差し出した。それを見たミラノは思わず腰の剣を確認した。ユグドラが差し出した剣が、今ミラノが佩いている、以前ユグドラより拝領した剣に酷似していたからだ。勿論、ミラノの腰の剣はそのままだ。良く見れば、細部の色使いが異なっている。ミラノの剣では赤が使われているところが、黒になっているのか。
「ここを見てください」
「これ……は……!」
 ミラノの剣ではアルトワルツが授く、と刻んである部分が、キャヴェンディが授く、となっている。
「これが、鹵獲した剣の中にあったんです」
 そう言えば、王家、アルトワルツ家のカラーは赤、キャヴェンディのそれは黒だ。そんな剣が、センディーの元にあった。ということは、だ。
「センディーを動かしたのは……」
 ユグドラも、ミラノもその先を言うことはできなかった。沈黙が幕舎を支配する。キャヴェンディがセンディーを動かし、ノルデンラントへ侵攻させる。援助もしたのだろう。鋼の剣も、その時に。目的は、ミラノの死か、失脚か。それ以外には考えられない。やはり、目障りだったのか。こんなことになるのなら、ユグドラに引き止められても、王国を去るべきだったのかもしれない。
 ユグドラの目から、涙がこぼれ落ちた。その唇は、まだ自嘲するように歪んでいる。
「お笑い種です。天使様に『叡智による統治』を約束してこの杖をいただいておきながら、私は」
 うつむいた彼女の視線の先には、あれ以来、いつも腰に下げている叡智の聖杖がある。
「いくら貴族の筆頭だからといって、私と婚約の話が出ていたからといって、既に王気取りで」
 ぱたぱたと、握られたユグドラの手に涙が落ちる。あの剣がキャヴェンディの作ったものならば、彼らは自らを王に見立てたことになる。それだけで許されざる不遜、不敬罪となるような代物だ。
「国にすすんで戦いを呼び込むような、人の上に立つべきではない人間を見逃して」
「ユグドラ……」
「キリエさんは亡くなってさえも私を助けてくれているのに、私は何もできていない、口だけ。戦いをなくすなどと、口だけ立派なことを言って」
 ヒルデのことを言っているのだろう。ミラノはユグドラの両肩をつかんだ。
「ユグドラ、やめろ。お前は悪くねーよ」
「私には、王の資格なんかなかった!」
「ユグドラ!」
 ミラノはユグドラを抱き締めた。ユグドラの体に緊張が走った。
 体が勝手に動いていた。そして気付いた。自分は、ユグドラに惚れていた。
 パルティナを奪還した時に、何故まだユグドラに付いて行くのかとキリエに質されたが、思えばあの時、既に惚れていたのだろう。あの時点で、ミラノは去っても良かったのだ。どうせ本当に城なんか貰えるとは思っていなかった。だが、去ろうという気はまったく起こらなかった。それはそこで去ったら、途中でやめるような気がして嫌だからだと思っていた。だが、つまりは、そういうことだ。
 そして、そのユグドラは父親の形見で自分のよりどころだった聖剣を封印してまで、戦いのない世界を望んだ。自分はユグドラに協力すると宣言したのだ。今、支えないでどうする。
 ユグドラの体から、力が抜けていた。ミラノはユグドラから身体を離す。
「落ち着いたか?」
「はい……」
 ついさっきまで泣いて、感情を昂ぶらせていたからだろうか。ユグドラの頬は上気していた。
 ミラノは、ユグドラが話を聞く準備ができたと見て、ゆっくりと話し始めた。
「自分に資格がないとか、情けないこと言うな。キリエだって、お前ならできるって言ってたじゃねーか。あいつに助けてもらっておきながら、期待を裏切るつもりか?」
「でも……」
「お前に資格がなかったら、一体誰に資格があるんだ?」
 うつむいていたユグドラの顎を持ち上げ、こちらを向かせる。
「お前は誰よりも悩みながら戦って、政治をしてきたんだろ? それは、俺が保証する。俺が一番そばで見てた」
 再び、ユグドラの瞳から涙があふれ出してきていた。
「ありがとう……ございます……」
 ユグドラが、うつむいて涙を拭った。再び上げた顔には、決意の色があった。
「手荒なことはしたくないのですが……やはり、キャヴェンディは罰しなければなりませんよね」
「本当にあいつらの仕業なら、な」
 ユグドラは、小首をかしげた。
「この剣がセンディーにあったからって、キャヴェンディ造反の証拠とは限らねーだろ」
「そう……ですか?」
「そうだ」
 ミラノは、剣の刻印を指差した。
「ここにキャヴェンディと刻んであるからって、この剣がキャヴェンディと本当に関係があるかどうかはわからねー。こんなの、鍛冶屋だったら誰でも刻める。嵌められてるのはキャヴェンディかも知れねーぞ」
 ユグドラは、すぐに納得したようだ。
「わかりました。私もちょっと冷静さを欠いていたかも知れません。恥ずかしいところをお見せしました」
「いんや、そんだけお前がみんなのことを考えてるってことだ」
 ユグドラは照れ隠しのようにちょっと笑うと「そう言ってもらえると、嬉しいです」と言った。
「都に戻り、細かく調べさせます。動くのは、それからにします」
「そうだな、それがいい」
 ミラノが腕を組んでうなずいていると、ユグドラは視線を少し落とした。
「ミラノさんがいてくれて良かった……私一人だったら、何をしていたか」
「ま、そもそも、俺が王国にとどまらなかったらこんなことにはならなかったかも知れねーけどな」
「ミラノさんっ!」
 ユグドラが、ミラノの胸板を軽く押した。
「大丈夫だ。俺は今更逃げねーよ。お前に協力するってみんなに宣言しちまったんだ。ま、とにかく、今は事の真相を調べるんだ。いいか、俺も、お前も、この剣には気付かなかった。軽はずみに動くんじゃねーぞ」
「はい……お騒がせしてすみませんでした」
「気にすんな。それより、今日はゆっくり休めよ」
 ユグドラは「はい」と返事をして、幕舎を出て行く。その足取りはミラノが思ったより、ずっとしっかりしていた。

<続く>

Yggdra Union - After - Chapter : 6