少女と、少女の影

 決着はあっという間に付いた。隊列が崩れていたところへ伏撃、さらに包囲攻撃を受けたのだ。組織的な抵抗ができるわけがない。算を乱したセンディーは散り散りとなり、ミラノ軍はこれを追い討ちに討った。
 日がある内の帰還は無理と判断したミラノは、まず兵にユグドラの幕舎を用意させた。斥候はまだ四方へ出している。増援がないとも限らないからだ。残りの兵は負傷兵の救護、武器や馬の鹵獲、自分達の幕舎の準備に従事している。日は傾ききり、血よりは明るい赤が、一面を支配していた。
 ミラノは用意させた幕舎で、腕を組み、いかにも不機嫌そうにユグドラと向かい合っている。ユグドラは俯き加減で、黙ったままのミラノの様子を時々上目遣いでミラノの様子をうかがう。不意にミラノが口を開いた。
「何であのタイミングで旗を揚げたんだ?」
「ミラノさんが……危ないと思って……つい……」
 ずっと俯いていたユグドラが、はじめて顔を上げた。自分が作戦違反をしたという自覚はあるようだ。ミラノはわざとらしく、大きくため息をついた。
「あのなあ。こっちは数で負けてんだよ。伏兵の攻撃が決まらねーと、どうにもなんねーんだ。お前だってわかってたんだろ?」
「はい……」
「ったく。あのグリフォンライダーがいなかったらどうなってたか……」
 そう言ってから、ミラノは気がついた。グリフォンライダーが現れただけではどうにもならなかったのだ。その前にセンディーの後衛が乱れていた。あれがなければ、グリフォンライダーも間に合わなかったのだ。一体何があったのか。ユグドラが言っていたように、旗の意味をセンディーは理解したのか。
「ミラノさん……?」
 気が付かなかったが、ユグドラに何度か呼ばれていたらしい。
「ああ、すまない。何だ?」
「さっきから呼ばれてますよ?」
 ユグドラの視線の先には、直立して待つ兵の姿があった。
「何だ?」
 敬礼をして、兵士は大声をあげる。
「失礼いたします。先ほどのグリフォンライダー隊のリーダーを名乗る者が面会を求めております」
 視線を向けると、ユグドラは小さくうなずいた。
「よし、通せ」
「はっ」
 ミラノが座を脇にずらし終えた時、兵に付き添われて一人の少女が入ってきた。
「初めまして。国王陛下。ノルデンラント伯爵。私はロスト・アリエスのヒルデと申します」
 ロスト・アリエス。キリエは自分の出身地をそう呼んでいた。ミラノは何度も目の前をよぎるキリエの幻影に動揺した。
 ユグドラが席をすすめると、少女は小さく頭を下げてから腰掛けた。ユグドラは動揺していないのだろうか。
「ありがとうございました。貴方がたの援護がなかったら、どうなっていたか」
「礼ならば天上のキリエにお願いします。あのグリフォンライダーは皆、キリエの弟子のようなものです。キリエを慕い、そして自らの寄る辺を守るためグリフォンライダーとなった者ばかり」
 ミラノは息を呑んだ。
「キリエさん、の……」
 ユグドラの声はかすれていて、やっとのことで絞り出したようだった。
「はい。ご存知ですね」
「え、ええ……」
 ヒルデは、責めているのだろうか。自分を。それとも、ユグドラを。黙っていることができず、横から口を挟んだ。
「キリエのことは……」
「おっしゃらないでください。キリエが戦ったのは自分の意志で、です。その結果どんなことがあったとしても、誰が悪いわけでもありません」
 ヒルデはミラノが、ユグドラがキリエを平定戦争に巻き込んだこと、そしてその結果キリエが戦死したことを責めない、と言っている。しかし、そうするしか術がなかったとはいえ、既に一度キリエが死を迎えていたとはいえ、ミラノがキリエを斬ったことを知ったらどうだろうか。同じことを言えるのだろうか。そんなことをぼんやり考えているうちに、ヒルデが言葉を継いだ。 
「ですが」
 ヒルデはミラノの注意が自分に戻ったことを確認して、続ける。
「キリエも言っていたかと思いますが、私たちは王国にはいい感情を持ってはいません」
 その言葉に、ユグドラが緊張するのがわかった。
「ですが、今回の王国軍の行動は王国民も含むとは言え、ノースゲートから北の民を守ろうとするものです」
「ああ……そうか」
 気付いた。なぜ自分はノースゲートを出て戦ったのか? 色々理由を付けてはいたが、キリエの故郷を守りたかったのだ。いや、本当は。本当は……。
「ですから、協力させていただきました」
 やや大きめのその声に、ミラノは我に返った。
「そ、そうか。すまねーな。ありがとう。助かったぜ」
 咄嗟に出た言葉は砕けていた。その言葉に、ヒルデははじめて笑みを漏らした。キリエと顔はまったく似ていないが、笑い方はキリエとそっくりだ、と思えた。
「そうは言っても、私たちはセンディーの目の前を横切っただけです。お礼を言うのは村を守っていただいた私たちの方です」
 ヒルデは深く頭を下げた。
「『王国は変わるかも知れない、いやきっと変わる。この戦争が終わったら、みんなが笑って暮らせる、争いのない世界を作ってくれる。あの王女様なら』、キリエが最後に出て行く時、そう私に言いました」
 キリエが最期に言っていたことと、ほぼ同じだ。
「そしていつもキリエについていった私をあの時ばかりは止めたのです。本当に王女様がそんな世界を作れるのか、見届ける人が欲しいと言って」
「そうですか……」
 戦争のない世界。キリエはそれを望み、ユグドラもそれを望んだ。自分はそれを助けると宣言した。しかし、それはまだ実現できていない。現にここはつい数時間前まで戦場だったのだ。いや、そもそもだ。戦のない世など作り出すことができるのだろうか。人の身で。
「ですが」
 ヒルデは、少し大きく息を吸い込んだ。
「無理だと思います。それは絵空事です」
 ヒルデは、確かにミラノの方を向いてそう言った。見透かされているのか。
「随分……はっきり言ってくれるじゃねーか」
「ヒルデさん……」
「ですが」
 ユグドラの声を遮るように、ヒルデは大きな声を出した。
「三年間私達は伯爵様がたのなさってきたことを見てきました。そして、争いをできるだけなくそうと努力されていることを良く知っています。だからこそ、私達は協力したのです」
「俺らはお前のお眼鏡にかなった、ってわけか。ありがとうな」
 そう言うと、ミラノは幕舎の中をちょっと見回した。
「お前達のおかげで俺たちは助かったんだ。ユグドラ」
 ユグドラはそれで察したようだ。小さくうなずく。
「はい。何か、お礼をさせてください」
 ヒルデは首を横に振った。
「ご無用に願います。先ほども申しましたが、私どもは横切っただけですから。実際に危険にあった部下の皆さまにこそ差し上げてください」
「でもよ」
「ですが」
 二人の声が揃っていたのが面白かったのか、ヒルデは微笑んだ。
「でしたら、陛下。伯爵様。この地を守るために、私どもアリエスの翼がいつでもノルデンラント伯爵に協力できる、許可をくださいませ」
 ミラノは腕を組んで、にやっと笑った。
「そんなんでいいのか。欲がねーな」
「わかりました。許可します。これは許可証代わりです。お持ちなさい」
 ユグドラは腰に下げていたシンプルだがきらびやかな突剣をヒルデに差し出した。意外にも、ヒルデはそれをあっさりと両手で押し戴いて、頭を下げた。
「ありがとうございます。次には横切るだけではなく、もっとお役に立てるよう調練をしてまいります」
「そりゃ頼もしいな」
「有事の際には、よろしくお願いしますね」
「本当は、私達の出番などもう二度とないのがいいのですけどね」
 ミラノは少し俯いた。ユグドラも俯いている。
「……そうだな。その辺は、俺たちが、いや俺がどうにかしねーとな。蛮族って言われてるが、まったく話のわからない奴らじゃねーんだけどな」
 そこまで言って、これまで忙しさのあまり浮かんでこなかった、当然の疑問がようやく湧き起こった。何故、センディーは今になって攻め寄せたのか。センディーとの関係は、民間では交易が始まるほど良くなっていたのだ。きっと、何かきっかけがあったはずだ。しかし、今悩んでも答えがわかるものでもない。ミラノは自分の膝をポンと叩いた。
「ま、頼りないかも知れねーが、任せてくれ」
「お願いいたします。それでは私はこのあたりで」
 そう言うと、ヒルデは頭を下げてから立ち上がった。
「ああ、達者でな」
「もう暗くなりますから、充分気をつけてください」
 ヒルデは深く辞儀をして、退出していった。入り口に垂らしてある布の隙間から、薄闇が染み出した。あまり冷えなければいいが。ミラノは、そう思った。

<続く>

Yggdra Union - After - Chapter : 5