油断と、伏兵

「あんな芸、誰が教えやがったんだ!」
 これまでのセンディーの戦術といえば、突撃と一撃離脱。それのみだった。
 今回も馬防柵に向かって突っ込んでくるとミラノは考えていた。柵は五段に構えてある。全軍で馬防柵を突破してくる間にある程度弓矢で数を減らせるはずだったのだ。だが、目の前のセンディーはまったく違う行動を取っている。
「あれは……イシュナート要塞で親分が取った手ですね」
 ジェイドが悔しそうに言う。一部の重武装の兵が下馬し、大盾を構えて前に出た。この部隊はじわじわと前進して馬防柵に辿り着くと、鉤縄や鉤の付いた網を柵に引っ掛け、次々と引き倒していった。
 矢は絶えず降り注いでいるが、相手が重武装の上、密集していないためほとんど効果があるようには見えない。
 ミラノは唇を噛んだ。
 別段、センディーは奇策を用いているわけではない。ジェイドが言うように、以前から使われていた手を用いたに過ぎない。しかし、これまでセンディーは何度も馬防柵の前に苦戦し、撃退されてきたのだ。何度も撃退されてなおこの手は用いなかった。結局、自分がセンディーを甘く見ていたということだが、何故、今になってこの手を使うのか。誰かが入れ知恵をしたのか。誰が。帝国か。帝国が。今回の侵攻の裏には帝国の残党がいるのか。
「親分、前に出ましょうぜ!」
 ジェイドの声に、ミラノは我に返った。確かに、今押し出せばあの工作部隊を追い払うことはできるだろう。
「ダメだ。こっちがやられる」
 前に出た歩兵は騎兵の突撃や弓に無防備になる。向こうの工作部隊は騎兵と簡単に合流できるが、こちらは馬防柵が邪魔になる。そして何より、乱戦になってしまっては伏兵が弓を使えない。
「悔しいが、三段目までは矢しかねーな。前に出たらやられちまう」
 一枚一枚、薄皮を剥ぐように馬防柵が取り除かれていく。ほとんど、センディーに被害は出ていないだろう。
 三段目の柵をすべて引き倒したところで、工作部隊は引いた。さらに工作部隊で柵を潰すつもりなら槍隊を押し出そうと考えていたが、そう甘くはなかった。残りの柵は騎兵で潰すつもりだろう。ということは、鉤の付いた網は騎兵でも柵を倒せるよう工夫されたものか。イシュナートでは、鉤縄しか使っていない。
「来るぞ! 槍隊は前に出る準備をしろ!」
 伏兵に八百、斥候、今は別働隊として騎馬隊を百を割いている。千百で二千の突撃に一時でも耐えられるのか。四段目の柵が潰されるまでに、どれだけ数を減らせるのか。こちらの兵は平定戦争を生き抜いた歴戦の兵だ。生半可な攻撃でみすみす隊を割られはしない。十分にセンディーの突撃に耐えられると踏んでいた。だが、それも馬防柵が十分に機能すればの話だ。正面からまともに突撃を受けた場合、耐えられるという保証はない。手袋の内側が濡れている。不快だ。渋るユグドラを説き伏せ、本陣ごと後方へ下げた。いざとなっても逃げることだけはできるはずだ。

 駆け来るセンディーに矢が射掛けられる。近付いて来て始めてわかったが、馬の前面にも鎧が着けられている。乗り手も正面を重点的に守っており、いずれもこれまでのセンディーには見られなかったものだ。降りそそぐ矢は間違いなくセンディーにダメージを与えてはいる。落馬したセンディー兵の姿がある。だが、その数はさして多くはない。ミラノは右手を振り上げて矢を止め、槍隊を柵のすぐ後ろにつけた。柵の間から、槍の穂先が突き出る。
 四段目の馬防柵に衝撃が加わった。すぐに騎馬は反転する。後には破壊された柵や槍の残骸と、傷ついた兵士や馬が横たわっている。槍隊はそれなりの戦果を上げたようだが、馬蹄にかけられた兵の数も少なくはないようだ。右手を振り上げると矢が騎馬を追撃した。だが大して効果は期待できないだろう。これまでで二百は減らせただろうか? 残り、千八百。次は最後の柵が引き剥がされまともに突撃を受けることになる。耐えられるか。千八百の突撃に。
 本隊が突撃に耐えられなかったら、本隊は二つに断ち割られ、伏兵は攻撃をかけることができない。伏兵が効果を発揮しなければ、運良く本隊が立て直したとしても寡兵のこちらはじわじわと潰されるしかない。
 本隊が突撃を受ける前に伏兵に攻撃させればすぐの壊滅はないだろう。しかしその場合伏兵が充分に打撃を与える前にセンディーは離脱する。包囲もできない。そうなれば敗北は目に見えている。
 やはり、当初の作戦通り一度突撃を受ける他ない。肚を決めた。兵を信じる。センディーが反転して迫っていた。右手をかざし、大声をあげる。弓五斉射の後、槍隊前へ。ジェイドが復唱した。
 弓隊の攻撃がやんだ。槍隊が柵の後ろについた。じきに騎兵の顔も判別できるような距離になるだろう。すぐに、猛烈な圧力が来るはずだ。この兵ならば、耐えられる。耐えられるはずだ。

 しかし、圧力が掛かることはなかった。まず、センディーの後方で、整然としていた馬列が、乱れた。そして、左右から矢が嵐のように降りそそいだ。
 ミラノが本陣を振り返ると、すでに赤地の白鳳旗が掲げられていた。
「馬鹿! まだ早い! 逃げられる!」
 ユグドラが焦ったのか。このままでは充分な打撃は与えられない。
 しかし、なぜかセンディーの後衛が乱れていたため、反転が遅れていた。
 だから、それが間に合ったのだ。
 反転し、後退しようとするセンディーの前を、五十ほどのグリフォンライダーが急降下し、横切った。動きが止まった先頭に後続が突っ込み、収拾が付かなくなっている。 
「キリエ!?」
 王国軍が、いやミラノが窮地に陥ると、いつもタイミング良く救援に現れたグリフォンライダーの少女。その名がミラノの口を突いて出た。
 しかし、彼女が救援に現れるはずはないのだ。この手で、斬った。その時の感触が手に戻りそうな気がして、ミラノは腰の剣を握り締めた。この剣は戦後ユグドラから拝領したもので、あの時使っていた武器ではない。
 冷汗が止まらない。強く首を振って、剣を頭上にかざす。大声で指示を出した。
「突撃だ!」
 こちらの騎馬隊が、センディーの背後に回り込んでいた。

<続く>

Yggdra Union - After - Chapter : 4