騎士と、貴族

「親爺、もう一杯だ!」
 酒場にやや甲高い声が響いた。声をかけられた店主は、苦笑いしながら若い騎士をたしなめる。
「少々飲み過ぎなのでは?」
 そう聞きながらも、店主は既に瓶のコルクを開けている。
「飲まずにいられるのならそれに越したことはないがな」
 店主は返事をせず、無言でワインを注いだ。もとより、本気で飲むのを止める気はないのだ。この騎士、パーシバルの酒癖は悪くない。単純に上客だ。愚痴はやや多いが。
「また、公爵様ですか」
 パーシバルは無言で注がれたワインを呷った。
「騎士様は公爵様をいつも悪くおっしゃいますけどね、私たちにはそう悪い領主様には思えんのですが」
 それを聞いて、パーシバルは舌打ちした。
 ひどい政治をしているわけではない。むしろ、殖産には才があると見ていいだろう。
 カローナの復興は、王都パルティナに次いで速い。中央に近いのも要因だろうが、やはり、為政者の腕なくしてそうはならない。そこは、パーシバルも認めている。そもそも、いくらユグドラがいち早い復旧をスローガンとしているとはいえ、無能な者まで旧に復す必要などない。
 もし、キャヴェンディが本当の意味での復旧の妨げになるような政治を行うような家であれば、旧領を回復されることもなかっただろう。
「だから尚更気に入らんのだ」
 自分以外の者に聖人君子たれと期待しても詮無いことは解っている。だが、言いたいことぐらい言わせて貰っても、罰は当たらないだろう。
「人を自分の家来扱いするんだよ、あいつは!」
「ご家臣ではないのですか?」
「違う。俺は陛下直属だ」
 パーシバルは彼が言う通りユグドラ直属である。王国軍の中核をなすのは王国騎士団だ。それは三つに分かれており、第一騎士団と騎士団全体を統括するのが総騎士団長兼第一騎士団長のデュランだ。他に二人の騎士団長がおり、その騎士団長と同格の傭兵隊長と魔法隊長がいる。パーシバルは、彼らと同格の扱いだ。つまり、王国の軍事に関してはトップから三番目の位置にいると言える。軍を統帥するのは王であるユグドラ本人であり、各団長と隊長は直接ユグドラから指揮を受け兵を統率する。パーシバルもユグドラから直接指揮を受けるが、他の隊長らと異なり、彼は正式には部隊を所持していない。
 それも、彼には気に入らない。士官学校ではデュランには引けを取らなかった。それなのに、帝国国侵攻以前、デュランは第三騎士団長で自分はその副官だった。帝国の侵攻で第三騎士団が崩壊しなかったのは自分がいたおかげだという自負もある。平定戦争でも、ともすれば単騎で戦いを挑んでいたデュランに代わり、兵をまとめていたのは自分である。なのに、現在の官職も、兵の人気もデュランの方が上だ。家柄というものが存在するのは理解するが、納得はいかない。有能な者を上に戴かないのは、軍全体の不幸であり、ひいては国難の原因ではないのか。
「左様でございましたか」
 言葉だけは丁寧な、その返事。感情は込められていない。本当に陛下の直属だと信じているのか、単なる酔っ払いの戯言だと思っているのか。腹立たしくはあるが、どちらでもいいことではある。どうせ相手は酒場の親爺だ。
 パーシバルの公的な立場はキャヴェンディが保有する部隊の指揮の補佐役という形になっている。言わば、カローナ守備隊の副隊長とでも言ったところか。しかし、キャヴェンディの当主ハーヴィーも、その息子カシアスも軍事には全く興味を示そうとせず、副であるはずのパーシバルが主となり指揮を取る形になってしまっている。つまりは、中央の人間であるはずのパーシバルがキャヴェンディの兵を率いる状態となってしまっている。
 なぜユグドラはこのような任務をパーシバルに命じたのか。それは、カローナの守りを固めるためだ。王国滅亡前夜、帝国来寇の第一報が王都にもたらされた時、騎士団は臨戦態勢ではなかった。侵攻があるまでは戦時だったわけではないから、当然のことだ。これは、王国が攻撃を受けた場合に、騎士団が本格的な反撃を開始するには相応の時間を要することを意味する。
 幸いと言うべきか、当然と言うべきか。帝国と王都の間には要塞都市カローナが存在している。カローナには最悪でもいくらかの時間稼ぎが期待されていた。帝国の恐るべき速度の進撃をも食い止めることさえ、期待する者も少なくはなかった。後にユグドラ軍が反撃を開始した際も、王都防衛のため築いたにも関わらず、想定の反対側からの攻撃にもカローナに拠ったバルドゥスはよく防いだ。誰の目から見ても、カローナはある程度は持ちこたえられたはずなのである。
 しかし、現実はそうはならなかった。
「お前らは不満じゃないのか! 公爵がこの街を守りきれず、帝国に蹂躙されたことが!」
 店主は無言ではやり過ごせないと見て、仕方なく口を開いた。
「そりゃ文句が全くないわけじゃありません。ですが王都でさえあっという間に落とされたんです。公爵様に文句を言っても始まりませんよ。相手が悪かったんです」
 パーシバルはまた舌打ちした。確かに、事情を知らぬ者からしてみれば、そうも見えるかもしれない。
 カローナは一日ともたずに陥落した。これは王都を守備する騎士団にとっても全く予想外のことで、これが王都失陥の原因と言うこともできるかもしれない。王都には確かに大兵力が存在するが、すぐに出撃できる部隊はそう多くはない。カローナの守りが存在するからだ。カローナが持ち堪えている間に動員を済ませる。王都の防衛はそういったプランになっているのだ。
 だから、カローナには充分な兵員と、それを維持できる大貴族が配置されていたわけだ。
 しかし、カローナは、キャヴェンディ家は期待に応えることはできなかった。カローナの軍はあっという間に壊滅し、公爵親子は行方不明となった。あまりに非常識な負けぶりに、公爵親子は戦う前から脱走したのではないか、帝国と内通していたのではないかとの噂まであった。
 その真偽はともかく。カローナがあっという間に抜かれたために、王都パルティナは充分な準備を整える前に侵攻を受けることとなった。王都があっという間に落とされたのはそれが原因であり、王都が即失陥する相手なのだからカローナが即失陥しても仕方がない、という認識は誤りなのだ。
 ユグドラはこれを強く問題視した。キャヴェンディ公爵家の軍事能力には、はっきりと問題がある。防衛体制を変えないのでは、万一また北からの来寇があった場合、二の舞になる恐れがある。かといって、キャヴェンディを移封するわけにはいかない。王国最大の貴族であるキャヴェンディを別の土地に移すとなれば、面倒ごとが増え過ぎる。それこそ、叛乱を呼ぶことにもなりかねない。そこで、ユグドラは諸軍事の補佐としてパーシバルをカローナに派遣し、少なくとも、カローナがまったく機能しないという事態が発生しないよう手当てをしたわけだ。
 事実はこの通りだが、酒の回った頭でうまく説明できる気はしなかった。できたとしても、酒場の親爺に説明したところで何の意味もない。その結果、パーシバルの口をついて出てきたのは「違う、違うんだよ……」という言葉で、それは親爺には酔っ払いの戯言として処理されてしまったらしく、返事はない。
 気に食わない。
 飲みかけのワインの味まで悪くなったような気がして、半分以上残った器をそのままに、パーシバルはテーブルに銀貨と銅貨を多めに置くと、黙って酒場を出た。店主の礼を述べる声が背中を追いかけたのは、ドアを出てからだった。

 一週間後。パーシバルは、カローナ城外で訓練に参加する兵が集まるのを待っていた。
 ユグドラは、キャヴェンディ家の軍事資質を危ぶんでパーシバルを派遣した。これは本来恥ずべき事態であるはずだが、当人らはそうは思っていないようだ。むしろ汚れ役を引き受ける丁度いい者がきたと言わんばかりの振る舞いをした。軍事に関わる一切を、依頼するとも、任せるともはっきりとは言わず、なし崩しにパーシバルに預けてしまったのだ。
 部下でもないのに、また正式な命令でもないのに、任務外の仕事を押し付けられるのは、生粋の軍人であるパーシバルには堪らない。だが、正式な命令ではないからと何もしないでは、自分がここに派遣された意味がない。それで、渋々ではあるがキャヴェンディの軍事を統括し続けている。
 これから始まる月に一度の、五日かけての訓練。その統率も、本来ならば公爵家の者が行うべきものだが、今ではパーシバルの任務であるかのようになってしまっている。
 この訓練は常備軍である騎士だけではなく、有事の際に召集される軽装歩兵なども含めて行われるもので、戦闘訓練にとどまらず、行軍なども含めて行われる総合的なものである。
 だからこそ、この訓練は実際に兵を統率する者が上に立って行わないと意味がない。それなのに、キャヴェンディ家の人間はパーシバルが来てからというもの、片手で数えられるほどしか指揮官として参加していない。
 今回の訓練には珍しく息子のカシアスが顔を出しているが、やはり指揮官として参加するつもりはないらしい。一歩引いて「存分にやってくれ」と言わんばかりの態度だ。
 兵を任されているのは確かに自分だが、だからと言ってまったく兵の掌握に興味がないというのはどうなのか。兵の掌握をパーシバルに任せきりにした結果、兵がすべてパーシバルの私兵となって、自分たちに刃を向ける。そんな事態が発生することもあり得る、そういったことは考えないのか。
 想像力が欠けているのだ。だから、兵の訓練に立ち合ったとしても巡察官か目付け役かのような振る舞いをして、兵に直に接しようとしない。いざという時カローナを、自分たちを守るのが誰だと思っているのか。公爵家に軍事に関する当事者意識がないから、帝国の侵攻も防ぐことができなかったのではないか! その思いをぐっとこらえ、指揮に集中する。カシアスの方は、見ないことにした。見る意味がないからだ。
 一通りの調練が済み、部隊の動きがいいことを確認して、パーシバルは、ひとつ試してみることにした。この兵をパーシバルが自由に動かせる状況を作り出そうとしたら、カシアスは、公爵家は一体どうするのか。
 先鋒隊より少し遅れて、カシアスの馬が到着した。先鋒隊は徒歩だ。カシアスが徒歩だったらずっと遅れていただろう。ご足労ありがとうございましたなどと、心にもないことをひとくさり述べてから、おもむろにパーシバルは切り出す。
「訓練の予定を五日伸ばしたいと思います」
 カシアスはこの訓練の後は巡察の予定が入っている。継続して訓練に参加することはできない。考えるそぶりを見せたカシアスに、パーシバルは畳み掛ける。
「兵もいつになく訓練に乗り気のようですし。予定外の行動にはなりますが、実戦ではいつもの訓練より長い作戦行動もあり得ます。そういった事態に備えておいて損はないと思いますが」
「ふむ……まあ、君がそう言うならば許可しよう。私は最後までの参加はできないが……」
 これだ。公爵家以外の人間が、それも監視なしに兵を掌握することに対して、危機感はまったくないようだ。あるいは、パーシバルを公爵家の忠実な家臣と考えているか、だ。そんなに信頼されるような真似をした覚えはないが。
「カローナは王都の守り。兵が精強でなくてはな」
 その通りだ。その通りだが、その言葉がお前から出るのか。そう言いたくなるのをぐっと堪え、笑みを顔に貼り付けたまま礼を述べると、カシアスは満足げにうなずいた。
「期間が倍となれば、今手持ちの糧食では不足だろう。正式な命令書を今作らせる。それでどこの食糧庫からでも兵糧を引き出せるようにしておくから、存分にやるといい」
「ありがとうございます」
 金や物の出し入れには本当に良く気が回るのだな。パーシバルはそう思った。カシアスは必要を感じて困らぬよう手を回そうと言っているのであり、咄嗟にそれに気付けるのが彼の才覚なのだが、これに反発を憶えてしまうのが、一人の軍人でしかないパーシバルの限界なのかも知れない。

 問題が発生したのは、二日後、補給を受けようとした時のことだった。
 パーシバルのがなり声が、食糧庫の前に響き渡る。
「何故補給ができんのだ!」
 目の前の衛士の長らしき男は、パーシバルの声に萎縮しているのか、もごもごと口を動かすばかりで、要領を得ない。
「ここに公子殿の正式な命令書もある!」
 すかさずカシアスの書状を突き付けた。衛士長は、一度は書状に顔を突き付けるようにしたが、ろくに吟味もせずに応答する。
「ですから、今日はここの責任者がいないので、判断ができないんですよ」
「だったら何だって言うんだ!」
 パーシバルは右手を壁に叩きつけて、威圧しようとする。が、衛士長はひるまない。いや、ひるまないと言うより、まともな反応がない。それがパーシバルを苛立たせ、苛立ちがパーシバルの声を大きくする。
「カローナを守るために訓練してるやつらに『空きっ腹を抱えて訓練を続けろ』と命令しろとでも貴様は言うのか!」
「ですから、私には判断ができないのでして」
 口では困っているが、顔は半分笑っている。
「貴様だって兵士の端くれなら、糧食もなしに行軍せよと言われる者の気持ちぐらい理解できるだろう!」
 パーシバルは自分でも半分八つ当たりだと解ってはいたが、止まらなかった。
「貴様と話していても埒が明かん! 通して貰うぞ」
 カローナの兵を統括しているのは自分だ。だから、少々の無茶をしたところで更迭されることはない。さらにパーシバルはキャヴェンディの家臣ではない。キャヴェンディがパーシバルを罰する資格はない。そう考える理性と、普段の不満から来る感情が、パーシバルを特に益もない、無謀な行為に走らせた。
 左右に衛士が縋り付いたが、振り払った。その程度で止められるような、やわな鍛え方はしていない。パーシバルは二つの扉を突破し、三つ目の扉の鍵を、鞘ごと腰から抜いた剣の柄で叩き壊した。衛士が追い付いてくる。右腕に取り付いた衛士を叩きつけるようにして、扉を開いた。
「なんだ……これは……」
 それまでの喧騒とは打って変わって、静寂がその場を支配していた。
 パーシバルが開いた扉の先には、槍や剣などが林立していた。
 睨まれた衛士は、自分は知らないとばかりに思い切り左右に首を振った。他の者にも視線を移したが、皆、同じ反応をした。
 最後に睨まれた衛士の長は「知りません、存じません」と悲鳴のような声をあげた。
 おそらく、この武器が何故ここにあるのか、本当に誰も知らないのだろう。だが、この武器が何をもたらすのかは、この場にいる誰もが理解しているようだ。
 ユグドラ王は規定の武器庫以外への武器の集積を認めていない。そしてここは、規定の武器庫ではない。
「いいか!」
 パーシバルは、衛士達を威圧するように大声をあげた。
「貴様らも俺もこれを見なかった! 解ったな!」
「しかし……」
「俺は兵糧の補給のためここに現れたのかも知らんが、貴様に門前払いされてすごすご帰っていったのだ」
 何か抗議しようと、口を開こうとした衛士長を大声で制する。
「まだ解らんのか! これを見たことが上に知れたら、俺は勿論、お前もただでは済まんぞ!」
 ようやく、衛士長は自分が当事者になり得ることに思い至ったらしい。
「責任者とやらが戻ってきても、絶対に漏らすんじゃないぞ。お前ら、自分の首が掛かっているということを忘れるな」
 そう言って、パーシバルは周囲を睨め回した。すべての衛士が、激しく首を縦に振っていた。危機感は植え付けた。これでいい。
 パーシバルは再び周囲をきつい目で見回すと、必要以上に高い靴音を立て、その場を後にした。衛士はほぼ全員が、茫然としてそれを見送った。一人だけ、小柄な兵士が開いたままの大扉を静かに閉じた。鍵は壊れて使えないが、せめてもと閂を掛ける。「お陰で手間が省けました」と口の中で呟いているが、聞き咎める者はいない。
「助かりましたけど、感心はしませんね……」
 小柄な兵士は、冷ややかな目でパーシバルを見送った。

 兵士達の前に戻るなり、パーシバルは大声を張り上げた。張り上げてから、我ながら、少々わざとらし過ぎたかも知れないと思った。
「信じられんが兵糧庫は空だった。今日中に城に戻らんと、明日は飯抜きだ!」
 兵を駆けさせる。駆けさせれば駆けさせただけ、粘り強い兵になる。パーシバルの持論だが、今は何より自分が駆けたかった。
カローナの灯がかすかに見えてきた。この分なら夜半までには城に戻れるかも知れない。パーシバルは兵に小休止を命じると、空を見上げた。星が、またたいていた。

<続く>

Yggdra Union - After - Chapter : 8