迂遠と、無頓着

「ユグドラ! 何で、お前、こんなところに」
 目を丸くしているミラノに、ユグドラは答えた。
「話せば長いんですが……」

 ユグドラは帝国平定戦後、ルシエナ・アイギナ姉妹の出自について調査を命じた。
 姉妹から向けられた敵意は自らの手で斬ったガルカーサから受けたものよりもずっと強いものだった。単に戦争をする上で敵であるから、という理由だけで叩きつけられているものとは、到底思えないほどのもの。加えて、王家しか立ち入れないはずの聖地にルシエナが闖入したという事実。ユグドラには、看過できなかったのだ。
 その結果が出たのが一週間前のことになる。宰相のジャスティンは、深刻な顔をして報告に現れた。
「陛下、驚かれずにお聞きください。ルシエナ・アイギナ姉妹は……先代のお子でした」
「なんですって! 父上が!?」
 これが驚かずにいられようか。ユグドラは自分に姉妹がいるだなどと、噂のたぐいでも、一度も聞いたことはなかったのだ。
「王太后殿下が陛下をお産みになる前の話です……」

 ジャスティンの話をまとめると、ユグドラが生まれる前、先王がアイリーンというメイドに手を付け、身篭らせたらしい。当初それに気がついていたのは後にユグドラの母となる王妃の侍女、カトリーナだけだった。カトリーナは王妃にも王にもアイリーンの懐妊の事実を知られることなく陥れ、王都より追放させることに成功した。王妃以外が王の子を、それも王妃よりも先に産むことを問題視したのだろう。彼女なりの忠誠心のあらわれと言えよう。
 失意のアイリーンは生まれ故郷である帝国国境付近のカローナに帰り、ルシエナとアイギナを産んだ。しかし数年のうちに病み付き、再び起き上がることはなかった。先王はアイリーンが亡くなる前に真相に気付き、いくばくかの金貨と一対の剣をまだ見ぬ娘らに遣わしている。だが、アイリーンはその剣がどういった由来を持つものか、口を閉ざしたまま亡くなったようだ。
 母親を失った双子は次第に生活に窮するようになり、彼女らはついに亡き母の形見であるエンドオブエイジ、ミストルティンの一対の剣を換金しようとしたとみられる。そして、換金しようとした物が何であるのか、自分たちは何者であるのか、気付いたのだ。しばらくして、彼女らはカローナから姿を消した。帝国へ身を投じたのだ。
 彼女らが帝国を選んだのは慧眼だったと言えよう。先帝を殺し位を奪った新皇帝ガルカーサは、領土欲に燃えていたのである。この時彼は既にファンタジニアへの侵攻を考えており、彼女らはファンタジニア王家の嫡流が絶えた後の傀儡として有用と見られたのだろう。彼女らは非常に歓迎された。そして、帝国の歓待に感じ入った双子は帝国の尖兵としてよく働いた。あとは、ユグドラも知っての通りである。

 ショックを隠せないユグドラに、気付いているのかいないのか。ジャスティンは続けた。
「血というものはかように重いものでございます。なればこそこのような争いも起きまする。お分かりですな?」
 ユグドラがうわの空で頷くと、ジャスティンも目を細めて頷いた。
「では、陛下にも早く婚礼を済ませていただいて、王統を継ぐ嫡子を産んでいただかねばなりませんな」
 ユグドラはジャスティンの言っていることの意味が咄嗟に理解できず、小首を傾げた。
「誰が王位を継ぐべきかわからぬ状態は混乱の元でございます。されば、陛下には一日でも早くご婚礼をお済ませに……」
「婚礼!?」
 ようやく話を理解できたユグドラは素っ頓狂な声を上げたが、ジャスティンはまったく動じない。
「はい」
 ユグドラは眩暈を感じた。

「思いがけない話をされた上に、急に婚礼なんて言われたから混乱してしまって……そのあとの話もキャヴェンディのカシアスの名前が出てきたことぐらいしか覚えていないんです」
 話を聞き終えたミラノは大袈裟にうなだれた。彼はしばらくそのままだったが、ユグドラが何の反応も示さないので、意図を掴めていないユグドラに向き直ると、やや大声で
「話は長かったが答えになってねーだろ。俺は、お前に、何でここにいるんだ、って聞いてんだ」
と言ったが、ユグドラはピンときていないようだ。
「ミラノさんに相談しなくちゃ、って思ったんです」
「何をだよ」
「婚礼の話を……」
「何で俺に」
「何ででしょう……」
 ミラノは少しの間頭を抱えてうずくまると、バリバリと頭をかいてユグドラに向き直った。
「あのなあユグドラ、俺は一伯爵だ」
 ミラノはややいらだっていることを隠そうともしていないが、ユグドラはわざと無視しているのか、気付いているそぶりもなく、ミラノの発言を額面通りに受け取ったような発言で割り込んだ。
「辺境伯にはほぼ公爵と同じ待遇を与えてあります」
 一瞬ミラノは顔をしかめたが、すぐに後を続ける。
「その辺はどうでもいいけどよ、まあ仮に公爵だとしてもだ、王家の結婚に口出しする権利はねえよ。それこそ混乱の元だ」
「相談すらいけないのですか? 王自らが聞いているというのに?」
 ミラノは閉口した。ユグドラは物腰柔らかに見えて芯は強情なのだ。そうでなければ、到底王国の復興など無理だっただろう。ミラノはそれを知っているので、すぐに折れた。
「わかったわかった、相談には乗るよ。だがな、俺に何を期待してるんだ?」
「話を聞いて、意見を聞かせてくれればそれだけで構いません。カシアスの名前が出てきたということは、ジャスティンは私にカシアスと婚約し、そして婚礼を挙げろと言っているのでしょう。それについて、ミラノさんはどう思いますか?」
「ジャスティンの言うことはもっともだな」
 即答だ。
「元盗賊の俺にはあまり縁のねー話だが、王位ってのははっきり言って争いの元だ。誰が王位を継ぐのかはっきり決めなかったせいで滅んだ国がいくつもあるのは、俺よりユグドラの方が知ってるだろ?」
「それは……そうですけど」
「そうだ。で、その王位を誰が継ぐのかってのは血のつながりが第一に優先されるんだろ? それならお前がさっさと結婚しなきゃダメだろうが」
 ユグドラは目だけで周囲を見回すようにして、少しの間逡巡してから口を開いた。
「結婚しなくちゃダメというのはわかりましたが、相手がカシアスというのは?」
「ユグドラだって困ってたろ、貴族と軍部の対立」
「ええ……」
 ユグドラの返答は歯切れの悪いものだったが、ミラノはたたみかける。
「軍の方はユグドラの言うことはちゃんと聞くんだから、貴族の方を懐柔しなきゃダメだよな? キャヴェンディは貴族の筆頭じゃねえか。そことお前が結婚する。うまくまとまるんじゃねえの?」
 ユグドラはやや不満気な色を顔に出しているが、ミラノは自分の発言に自分で納得し、しきりにうなずいていて、ユグドラの方を見ていない。
「ジャスティンの考えてることは正しい。俺でもわかる」
 ミラノの高説が続く中、ユグドラは少しずつ俯き加減になっていっていたが、ミラノも、他の者も誰一人気付かなかった。ユグドラは、小さく返事をした。
「ミラノさんもそう思うんですか……」
「私は賛成できないな」
 これまでずっと黙っていたラッセルが口を挟んだ。
「東の叛乱鎮圧の時にキャヴェンディ公の兵もうちの部隊に参加したんだが、まあひどかったよ」
 キャヴェンディ家の当主はハーヴィーという公爵だが、既に老齢であり、出兵に当たっては嫡子のカシアスが指揮を執ることになった……表面上は。
 しかしラッセルが言うには、カシアスは常に後方の安全な場所にいて、戦闘にはまったく参加しなかったのだという。あまつさえ何だかんだと理由を付けて、総指揮官のラッセルよりも後方に陣取っていたようだ。
 ラッセルは髪をかきあげて言う。
「この軍にも叛乱に同調しうる人間がいないとは限らない。私は後方より不穏分子に目を光らせることにしたい、と言うんだね」
 ラッセルは大袈裟に肩をすくめた。
「私が帝国に与していたことを言っているんだろう。しかしね、フローネが城にいる以上、私が寝返るはずがないじゃないか、そうだろう?」
 ユグドラは、カシアスがそういう意味で言ったのではないと感じたが、黙っていた。
 ミラノには、ラッセルはフローネがもしまた敵にさらわれた場合、また裏切ると言っているようにしか聞こえなかったが、話の腰を折ると元に戻すのが難しいと感じ、これまた黙っていることにした。
 ラッセルは、そのような雰囲気を感じようともしていないようだ。
「もっとも、副官のパーシバルが達者だったから良かったが。カシアス本人が指揮するよりもむしろずっと良かっただろう」
 ユグドラがミラノの方を向いて補足した。
「パーシバルはデュランの士官学校での同期だったんですよ。ミラノさんも憶えていますよね?」
 ミラノは実はまったく憶えていなかったのだが、言われて平定戦争の際デュラン隊の副隊長をしていたことを思い出し、軽くうなずいた。
 ラッセルは続ける。
「とは言えね、本来の責任者が完全にノータッチというのはいただけない。兵の士気も上がらないよ」
 そこまで言ってひとまずは気が済んだのか、ラッセルは軽く溜息をついた。黙って聞いていたミラノは、そこで口を開いた。
「だけどなあ、戦場で指揮を執ることとユグドラの婚約者としてふさわしいかは別の話だろう?」
「ああ、その通りだ。だけど自分の部下に誠実に当たらない人間がさらに高位につく……どんなもんだろうね。それは」
 そう言われて、ミラノもさすがに口をつぐんだ。
「そもそもが、キャヴェンディ家は平定戦争でほとんど何もしていないしね。余計なことをした人間が言うのも何だが」
 キャヴェンディ家の領地は王都の北に位置する。この地域はカローナに続き、早期に帝国に蹂躙されているが、ハーヴィーとカシアスは無事だった。これは両名がろくに抵抗しようとせずに逃げ出したためとも噂されている。
 帝国滅亡後に彼らはどこからともなく帰ってきて、ユグドラより旧領をすべて安堵された。ユグドラは戦後、秩序の回復を最優先として考えた。そのためにはできるだけ旧状を回復すべきとして数々の施策を実行していたが、キャヴェンディ家はその恩恵をもっとも受けたグループだと言える。それは、キャヴェンディ家がファンタジニア屈指の名家であるからだ。建国の功臣で、以来王国と共に歴史を歩んできた旧家なのだ。旧状回復を考えるユグドラの婚約者の家としてはふさわしい。新たな混乱の火種を作らないためには確実な人選だろう。
 しかし、実際に戦ったわけでもないのに、ずば抜けた功績を持つミラノやラッセルを排除しようとした勢力、その中心がキャヴェンディ家であることも確かだ。ミラノはそもそも王国の人間ではないし、爵位を受けるつもりもなかったので腹も立たなかった。言われるまで忘れていたぐらいだったが、ラッセルには我慢ならなかったのだろう。
 ラッセルはユグドラに向き直った。
「いずれにしろ陛下のお気持ちが一番だと思います。周辺国と政略結婚しようと思っても他国は王子は出せますまい。国内のことなら何とでもなりましょう。ならば陛下は政治的なことを抜きにして相手をお選びになってもよろしいのではと、不肖元裏切者は思いますが」
 ユグドラはそれに反応を返さず、俯いて考えこんでいる。ミラノが代わりに「そういうもんかねえ……」と気のない返事をした。ラッセルが「そういうものだ、難しく考えることはないだろう」と応えたが、その声は乱暴に部屋の扉を開ける音に遮られた。
「失礼いたします!」
 大声を張り上げているのは、ヒューゴーだ。ミラノは不機嫌そうに応じる。
「何だ? 人払いだと言ってただろ?」
「火急の事態ですので、失礼を承知で参りました。申し訳ございません」
 ミラノは顎を少し上げて、先を促した。
「センディーが動きました。こちらへ向かっているそうです!」
「何だと!」

<続く>

Yggdra Union - After - Chapter : 2