無聊の伯爵と、微行の女王

「やれやれ……ようやく落ち着けるようになったのはいいんだが、そうなると暇なもんだなあ、貴族ってのは。なあコブン?」
 銀髪の青年は、傍らの青年に話し掛けた。
「そうですね親分、ああいや、伯爵様」
 伯爵と呼ばれた青年は右手を鬱陶しそうに振って返事をした。
「いいよ、今はここにはお前と俺しかいねーんだから親分でさ」

 ファンタジニア解放戦争とも、ブロンキア平定戦争とも呼ばれる戦乱の終結から早三年。
 ミラノは一度は王都を去ろうとしたのだが、ユグドラと新生王国軍がそれを許さなかった。ユグドラはミラノと交わした「城を差し出す」という約束を守らせて欲しいと言って譲らなかったし、解放戦争中のミラノの武功と言えば軍随一。しかもユグドラが囚われの身であった際には解放軍を見事に指揮して見せた実績もある。その采配が実に兵法にかなったものであったため、将校はミラノの実力に惚れ込んでいる。兵卒は兵卒で、指揮官ながらも自ら最前線で戦うミラノの背中に絶大な信頼を寄せていた。彼らも、口をそろえてミラノを軍上層部に取り立てるべきだと主張する。
 しかし、そのミラノを煙たがる勢力もまた存在した。戦時に実際に矢面に立ったことのない旧守派の貴族たちだ。彼らの目にミラノは出自の賤しい盗賊風情としか映らない。彼らはミラノを取り立てるなどとんでもない、適当に褒賞を支払い放逐すべきだと主張した。
 それらの力と感情のせめぎ合いがあったものの、結局ミラノは約束通りユグドラより城を一つ拝領することとなった。ただし、王都からは遠く離れた、新王国領も北東端に当たるかつての死の大地、現在はノルデンラントと呼ばれる地に、だ。
 かくして初代ファンタジニア王国ノルデンラント辺境伯ミラノ=ノルデンラントはその武勇を買われ、旧帝国内の叛乱の鎮圧、住民の慰撫、そして国境警備に当たった。
 最初の年はあっという間に過ぎ去った。反パルタの名の元に小規模な叛乱が頻発し、その混乱を狙って領土を蚕食しようという異民族の胎動が見られ、それらへの対応に忙殺されたからだ。ミラノはユグドラが聖剣を封印した際の誓いを重んじ、できるかぎり流血を避けようとした。それは説得だけではなく、あるいは調略という形を取ることもあったが、とにかくそういった姿勢が、ユグドラが施した善政とも相まって実を結んだと言えよう。二年目には叛乱の数が半分以下に減り、三年目の今となってはもう、ほとんど軍を出動させる事態は発生しなくなっている。異民族も旧帝国領があっという間に収まった様子からユグドラ政権とミラノの指導力の強さを見てとって、刺激しないに越したことはない、という結論に至ったようだ。
 かくしてノルデンラントは、少なくとも見かけ上は平和な地域となったが、それは必ずしもミラノが望んだ結果ばかりを生んだわけではなかったようだ。

「暇だ。巡察に出るか」
「定期巡察はもう済んでますよ。軍を連れるんですよ巡察は? 不定期にやったら住民を刺激しやしませんかね?」
 ミラノはコブンを軽く睨みつけたが、コブンは相手にもしない。
「なら俺一人で行くよ」
「ダメですよ。いくら今は治まってるとは言え、ついこの間まで親分はここで侵略者として目の仇にされていたんですからね」
 ミラノは半分以上冗談で言っているのだが、見事に反論されてしまったので、閉口した。鬱憤を晴らすかのようにドサッと必要以上に勢いをつけて、ミラノは椅子に座りなおした。
「ちぇ、お前がこんなに政治向きだとは俺は思わなかったぜ」
「はは、人は何に才能があるかわからないですね」
 コブンはミラノの側近として仕えていたが、ミラノと一緒に文字の勉強を始めたにも関わらず、ミラノよりずっと早く習得してしまった。ミラノも頭の回転は速い方だが、この点ではまったくコブンにはかなわなかった。以来、盗賊時代の経験を活かし、民衆の心を掴む施策をいくつも打ち出している。
「あーこのままじゃ暇で死んじまう。何とかなんねーのかこれは。もう貴族なんかやめて盗賊に戻るか……」
 ミラノのつぶやきに、コブンはやや大袈裟に反応する。
「ダメですよ親分、親分がいなくなったらこのあたりは三日で混乱しますよ」
「わーってる。言ってみただけだ、畜生」
 二人がほぼ恒例となっている掛け合いをしている中へ、執事のヒューゴーが入ってきて、意外な一言を告げた。
「伯爵、ラッセル卿がおいでになられました」
「ラッセルが? そうか、よし、通せ」
 ヒューゴーが退室すると、ミラノは右手を顎に当てて考え込んだ。
「あいつ、使いも寄越さねーでいきなりか。一体何の用だ?」
「ま、ラッセル卿も親分と似た境遇ですからね。旧交を温めにきたんじゃないですか?」

 ラッセルは元々王国でも名の通った剣士だったが、婚約者を人質に取られたため、やむなく帝国に与していた。しかし、ミラノによってその婚約者が救出されてからは王国軍に復帰し、軍随一の剣士として存分に活躍した。とは言え、やはり帝国の尖兵として働いた前歴は消せるものではない。ともに戦った者らは別としても、旧守勢力にとっては嫌悪感が拭い難く、さりとて武功は抜きん出ている、という難しい立場にあったため、結局はミラノとほぼ同様な扱いを受けていた。
 つまりは、新王国領の東端、水の都エリーゼ付近で、治安維持に務める伯爵という立場だ。王国の北の守りはミラノに、東の守りはラッセルに任されている。話によると、伯爵の座につくや否や、伯爵夫人を迎えたという。

「あいつがそんなタマかよ。あいつがマメなのは嫁さんだけにだろ。大体、俺と同じであいつもフラフラしてられる身分じゃねーだろ? そんなくだんねー用事でここまで来っかよ」
「まあ、そうですね」
「ラッセル卿、入られます」
 ヒューゴーはそう告げてラッセルを通すと、自らは退出した。ミラノは戦時の仲間が訪ねてきた際は仲間同士水入らずにさせて欲しいと、人払いを慣例としている。
「よお、ノルデンラント伯。貴族生活満喫してるかい?」
 コブンに対するミラノに負けず劣らずのフランクさで、ラッセルは話し掛けてきた。
「ミラノでいいよ馬鹿。俺がそう呼ばれるのを嫌がんの分かってて言ってるだろ?」
「ははは、すまない。しかし凄いじゃないか、もうこのあたりでは叛乱はほとんど起きてないんだろう?」
「まあな。半分はこいつのおかげだ」
 ミラノは親指で右に控えるコブンを指さした。コブンは照れたように頭をかく。視線を戻したミラノは椅子から乗り出すようにして尋ねた。
「で、ラッセル卿は使いも寄越さないでどんな火急の用事だ? 珍しく女なんか連れて。嫁さんから逃げてきたか?」
「馬鹿言っちゃいけない」
 ラッセルは前髪をかきあげた。戦時にもよく見かけた、気取った仕草だ。
「私とフローネの愛は永遠だ。そんなことはあり得ない。羨ましいのは分かるがそういう冗談はいただけないな」
 ラッセルは大真面目でそう言うのだ。ミラノは一気に力が抜けてしまった。
「ああ、そうですか……」
 そのミラノの様子に気付いていないのか、気付いていながら無視しているのか、ラッセルは意に介していない様子で話題を元へ戻した。
「用事というのは他でもない……と言うか、実は私はまったく君に用事はない」
「は? 何言ってやがんだ?」
「君に用事があるのは今話題に出た女官、いや……」
 ラッセルの隣に控えていた女官が、目深にかぶっていたフードを取ると
「お、お前は」
 その顔は、ミラノがたとえ忘れようとしたとしても忘れられない顔だった。
「ユグドラ女王陛下だ」
「お久しぶりです、ミラノさん」

<続く>

Yggdra Union - After - Chapter : 1