遺された都にて

「待てっ!」
 アテナが叫んだ。突っ込もうとしていたストライダーの動きが止まる。
「なっ……」
「熱くなるな! みんな固まれっ! レンは本気だ! 一人で突っ込むんじゃない!」
 ストライダーは指示通りに陣形を組んだ。ストライダーの実感として、アテナのこの手の指示にこれまで間違いは無かったからだ。
「セレナ!」
 ストライダーが指示に従ったのを見ると、アテナは一瞬だけ振り返った。レンほどの剣士を相手にして、長い間注意を他に向けている余裕はない。
「大丈夫です。出血は止まりました。すぐに戦線に復帰できます」
「そうか。傷口が再び開かないよう、手当てを頼むぞ」
 振り返らずにアテナは答えた。その背中へ向けてセレナはできる限り大きな声で返事をする。
「はい!」
(この戦い、負けるわけがないですね)
 勿論、セレナはレンとツスクルが強敵であると充分にわかっているけれども、この口調のアテナは本気で、普段よりもずっと信頼できることを知っていた。
 全てを狩る影によって、以前は行動を共にしていたダークハンターが一撃で倒された時も、この言葉遣いのアテナの必死のガードによって、チームは辛うじて全滅を免れていたのだった。
「すまない、油断したわけではなかったのだが……」
 セレナの治療で意識を取り戻したやよいは、先ほど切り裂かれた首をしきりに気にしている。
「先ほどの出血がひどかったですから、まだふらつくと思います。攻撃に参加するのはメディカで回復してからにしてください」
 そう言いながら、セレナはやよいにメディカIIIを手渡す。
「わかった」
 ストライダーは背後のやよいの声を聞き、無事であると確認すると、大きく息を吸い込み、空気が震えるような大声を上げた。彼の体は剣気に満ち、レンも警戒するように中段へ構え直した。
 そこへ、アルフレッドが放った炎がレンを襲う。
 数種の鉱石を砕き混ぜ合わせたものを右手の簡易反応炉に投げ込み、外側から叩くことによって着火する。その際、専用に調合された油と、空気が混合されたものが吹き出して目標を業火に包むのだ。
 しかし、炎に包まれたレンは身じろぎもしない。
(完全に入ったはずなのに、大した精神力だよ、全く)
 アルフレッドは心の中で悪態を吐きながら、鉱石を補充した。
「ラ……レ……トゥ……」
 ツスクルの口から微かな音が漏れる。その意味はこの場の誰も解しないが、確かな力となってパーティを縛る。ストライダーとアテナは腕の自由を奪われた。剣を振り下ろすことはできるが、精密な動きは封じられたと言っていい。
 レンは剣気を漂わせるストライダーを最も警戒すべき相手であると見なしたようだ。裂帛の気合とともに斬りつける。まさに剣閃。彼女の刀は輝きを放っているように見えた。
「ちっ」
 ストライダーは避けようとはしたが、全く間に合わなかった。それはいい。斬られることは覚悟していたが、受けた衝撃に違和感があった。ストライダーは自分が受けた傷を見て、動揺した。
「何だ、これは!」
 レンによって付けられた刀傷は、凍り付いていたのだ。
「漣の奥の手だ……」
 アムリタIIIを飲み干した空き瓶を放りながら、やよいが答える。
「抜刀氷雨・改……振り抜いた刀が吹雪を呼び、相手を凍りつかせる」
 レンから視線を外さずに、ストライダーが応じる。
「馬鹿な! アルケミストもなしで、そんなことができるのかよッ!」
「漣もどうしても、という時しか使わない技だ。私も見たのはこれで3度目だ」
 やよいは答えながら刀を大上段へ構えた。そこへレンが鋭い視線を浴びせる。昔、修行中だった頃はこれだけで竦んでしまったが、今ではさすがにたじろがない。
「そっちが氷なら、こっちは炎だ! おい、アル、一発頼むぜ!」
 ストライダーは姿勢を低くして、剣を両手で構え直す。
「任せとけ!」
 再びアルフレッドの左腕が炎を吹く。その炎がレンを包む直前、ストライダーは床を蹴って追撃を見舞った。
「どうだ!」
 さすがに、レンもこの一撃にはバランスを失いかけた。が、
「……なんのっ!」
 両足で踏みとどまった。そして再び刀を構えるかと思われたが、刀身を鞘に収めた。しかし戦いをやめようという意思表示には見えない。彼女は戦意を失っているどころか、目の光はますますその力を増している。
「医学的な見地から申し上げますと!」
 セレナが大声を上げた。
「相手の得物は鋭い刃物。動脈損傷による大量失血が怖いです! みなさん、首、手首、手足の付け根を重点的に守ってください!」
「……ル……プ……ス」
 ツスクルの口からは絶えず聞きなれぬ音が微かに漏れ続けている。今度は発動を阻止しようとアテナが斬りつけ、ツスクルはよろめくも、その音は途切れることはない。今度はその音はパーティの神経に作用した。アルフレッドが睡眠に落ち、やよいの目から光を奪い、ストライダーの身体を麻痺させた。
「漣! そっちがその気ならこっちも容赦はしない! 以前の私とは違う!」
 やよいの言葉にレンが叫び返す。
「その目は見えていないのだろう! どうするつもりだ!」
「見えないのならば、見えないなりの剣がある!」
 そう言い返したやよいの刀の先には確かにレンの姿があった。レンがその位置を変えようとした刹那、やよいの刀は一瞬にして三度閃き、そのすべてがレンを捕らえた。
「弥生! 腕を上げた! だがまだまだだ!」
 レンは斬撃を受けるや否や収めた刀の柄を握ると、抜き付けで斬りかかった。目が見えないやよいは一瞬反応が遅れ、再び喉を捉えられた。やよいの盲目を治療しようとしたセレナに、大量の鮮血が降り注いだ。
「セレナ! やよいを頼む!」
 アテナは振り向かなかった。
「は、はい!」
 セレナは萎縮しないよう、無理矢理大声を出した。その声を聞いたアテナは、レンに斬りつけた。レンはその軌跡の横合いから刀をぶつけ、攻撃を逸らす。アテナはそこからさらに踏み込んで、二度、三度と斬りつける。
「あなた方はっ! こうして何人を葬ってきた!」
 レンも後ろへ下がりながら二度、三度とアテナの猛攻を逸らしつづける。
「人を殺し屋みたいに言わないで欲しい、君たちが初めてだよ!」
 アテナの四度目の斬撃がレンを捉えた。レンは刀を持ったままトンボを切り、衝撃をそらしつつ、体勢を整える。
「まさかこんな所まで来るとはね! 賞賛に値するよ!」
 レンは中段に刀を構えた。アテナはレンとの間合いがあるので、やよいの様子をうかがうことができた。セレナが必死に止血をしている。
「その褒美が死か! 自分を慕ってたった一人で旅をしてきた昔馴染みに対しても!」
「黙れ! 私は君たちとおしゃべりをするためにここにいるわけではない!」
 レンが間合いを詰め始めた。
(斬り合いながらしゃべっても余裕があるのに、やよいのことになると冷静ではいられないのか……)
「黙らん! 自分を慕う者を殺めてまで、この街の繁栄を取らなければならないのか、あなたは!」
 レンの斬撃をかろうじてアテナは盾で防いだ。間髪入れずに繰り出された反撃を飛びすさってレンは回避する。
「五月蝿いッ!」
 レンがアテナの盾ごと彼女を切り裂こうと、大きく刀を振りかぶり、踏み込んだその瞬間、
「脇ががら空きだッ!」
 セレナによって回復したアルフレッドの放った炎と、ストライダーの追撃がレンを見舞った。二人を警戒していなかったレンはまったく回避行動を取ることができず、脇腹に直撃を受け、壁に叩き付けられた。彼女は即座に立ち上がろうとしたが、叶わなかった。膝から崩れ落ちる。アテナがそちらへ向き直った時、はじめてツスクルが奏でる呪言が停止した。
「……やめ……て!」
 ツスクルは普段の彼女からは想像できなかったほどの素早さでアテナとレンの間に割り込んだ。両腕を広げて、レンを庇っている。
「殺すのなら……私を!」
「やめろツスクル! お前だけでも逃げろ!」
 アテナはその二人を見て、ふっと笑みをこぼした。二人がその笑みの意味を理解しようとした時には、アテナは右手の剣を投げ出していた。硬質の音が静寂を取り戻した空間に鳴り響く。最初は鞘に収めようと思ったが、ツスクルの呪言はまだアテナの腕を捕らえていて、自由な動きを許さなかったのだ。
「私は、レンもあなたも殺すつもりはありませんよ」
 緊張が切れたのか、ツスクルは糸が切れたようにその場にへたりこんだ。
「アテナ! どういうつもりだ!」
 ストライダーがアテナの肩をつかんで強引に振り向かせた。アテナは微笑んでいる。
「どういうつもりも何も、私はこの二人を殺さないつもりですよ」
「こいつらは俺らを殺そうとしたんだぞ!」
 ストライダーは両肩をつかんで前後に揺さぶったが、アテナの微笑みは崩れない。
「だから何だと言うんです。スノードリフトの時、ケルヌンノスの時……二人の助けがなければ私たちは全滅していました。その恩を返すのです。今。何の問題があるんです?」
 ストライダーはアテナを揺するのをやめた。
「そりゃ、そうだが……」
 アテナはストライダーの手を払うと、彼女らに向き合った。
「こうなってしまった以上、彼女らは私たちを再び狙うことはないでしょう。諦めないのならば、これからすぐにでも街へ戻ってこのことを暴露すればいい」
 一呼吸置いて、彼女は続けた。
「そんなことはしませんけどね」
「すまない……」
 そう言うと、レンはうつむいた。アテナはそれを見ると、レンに背を向けてパーティメンバーに向き直った。
「異論はありますか?」
 ストライダーは腕を組んでそっぽを向いた。しかし、さらに抗弁をしようとはしない。
 セレナは手を挙げて大声で応じた。
「はい! アテナさんに賛成です!」
 アルフレッドは頷いて答えた。
「恩義に報いるは、人の道でしょう」
「みんな、ありがとう……」
 やよいはそう言うと、パーティメンバーに深く頭を下げた。そのやよいに、レンが話し掛ける。
「弥生、強くなったな」
「まだ、漣には敵わないけどね」
 レンは頷いた。
「確かにそうだな。だが弥生には強くて立派な仲間がいる。それは私には真似できないことだ。誇っていい」
「漣、村へは……」
 やよいの言葉におっかぶせるようにして、レンは自嘲するように答えた。
「もうあの村に私の居場所はないよ。弥生はわからないかも知れないが……」
 やよいは息を飲んだ。そして、やよいが何を言おうか迷っている間に、レンは続けた。
「勿論、これは私の意志だ。ツスクルは私に何の術もかけたりなどしていない。私はね、ツスクルに命を救われたんだ。ツスクルこそ命が危ないという時にね。だから、私はずっとツスクルと一緒にいると決めた」
 レンはツスクルを抱き寄せた。ツスクルはレンにしがみつく。
「さあ、先へ進むがいい。私たちもこれだけやれば彼への恩義は果たしたと言っていいだろう。もう君たちを止める理由もない。この樹海の果てももうすぐだ。……そうだ、これを持って行け」
 そう言うと、レンはアテナに薄い板片を手渡した。
「これは?」
「樹海の底に辿り着くのに必要になるだろう。重い物ではないし持って行って損はない。受け取ってくれ」
「わかりました。では、いただきます。二人でここから街へ戻れますか?」
「心配いらない。ツスクルはほぼ無傷だ。休めば私もまた動けるようになるだろう」
 レンはそう言って笑ったが、額には汗が浮かんでいた。その表情にはまだ苦痛の色が濃い。ツスクルがそれを見てふるふると首を振る。
「こら、ツスクル」
「これ、使ってください」
 セレナは鞄からメディカIIIを取り出すと、レンに差し出した。
「……悪いな。この先何がいるかわからないというのに」
 レンはそれを両手で受け取ると、深々と頭を下げた。
「私が言うのもなんだが、必ず生きて戻って来るんだぞ」
「呪いを反転させれば、それは祝い。幸運があなたたちとともにありますように……」
「ありがとう、レン、ツスクル」
 パーティメンバーはレンとツスクルに手を振ると、21階を後にしたのだった。

<了>