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 7時ごろだったでしょうか。目を覚まして外を見ると何か白っぽいのです。眼鏡を取り出して掛けてみると。

 こ、この白いのは……雪!?

 えええええ本当に雪ですかいやほんと参るなあ今日はバリバリ京都市内の神社を回るつもりなのに雪ってどういうことですか困ったなあどうよ乾先生と持ちかけたらどうも昨日より体調が悪化しているご様子。

 もしアレだったら今日の行軍は取り止めますかとたずねたのですが、平気とのことなのでこれぞユースホステルという何とも文字通り味気ない食事をとって、出陣なのです。

 その前にバス・地下鉄一日券というのを購入しました。これさえあれば京都市内の地下鉄バスがその名の通り一日中乗り放題なわけです。1,200円。これをバスのカードリーダにガツンと通すと日付がプリントされました。

 ユースホステルから直行できるので、手始めに北野天満宮へと参りました。

北野天満宮

 天満宮と言えばご祭神は菅公、すなわち菅原道真公です。

 ↑このとおり、やたらと参道に灯篭がありました。すべて信者(という言葉が適当か、よくわかりませんが)から奉納された灯篭のようで、何か願をかけるとき、何かご利益があったときに灯篭がどんどんと納められ、歴史のある神社ですし、灯篭は腐ったりしませんから、このように灯篭林のようになったようです。ということを理解したのは次の日のことで、この時は「何か不気味だなあ」としか思っておりませんでした。

←鳥居をくぐって最初の門がこちらです。この左側には梅園が広がっています。

散り際のうえ、雪を被っていてなんともでしたが、なかなか見られない光景ではありました。

 →こちらは上の門のさらに奥の門です。と言っても上の門くぐって正面にこの門があるわけではなく、上の門をくぐった奥は道がいりくんでいます。

 何か理由でもあるのでしょうか。

 と言いますか前日分の文章で説明した「出てきてくれるな」的造りなのでしょうか。道が入り組んでいればなかなか外には出られまいと。

 ←こちらが拝殿ですね。提灯にある社紋は天満宮につきものの梅をかたどったものです。

 北野天満宮を見終えた後、どこへ行こうかと地図を見れば、晴明神社が歩いていけそうなくらいの距離にあります。じゃあ歩いていくべとボテボテ歩いていたら、どうも地図で見た時の印象より遠いのです。その中で雪も降ってきて、いやはや参ったなあと言っていましたら、途中に「←首途八幡宮」(かどではちまんぐう)という看板があるじゃありませんか。

首途八幡宮

 それでは早速参拝せんと立ち寄ったところ、非常に小さな神社で、参拝客どころか社務所はどこだ、といった感じで。

 しかし鳥居の脇にあった看板には旅行の道中安全にご利益があると言うことで、ここまでわけのわからない天気に悩まされてきた我々としては是非参拝せねばなるまいと立ち入ったのです。

 境内の様子は非常に独特。拝殿(本殿?)へ続く道と言うか階段は3本ありまして、
その内左と右の階段には鳥居があります。右の鳥居だけ赤いです。
で、左と中央の階段は途中で繋がり、拝殿の前へは2本の階段が延びています。
非常に珍しい造りで、思わずシャッターを切ったわけですが、
どうしてこうなっているのかその由来を尋ねる人もいないありさまで残念。

 そこからまたしばらく歩いているうちにご利益が早速あったのか雪はやみ、晴明神社へと辿り着きました。

晴明神社

 晴明神社はその知名度のわりに小さな神社で、規模的にはそのあたりの街中にある普通の神社と変わらない程度です。

 その割には参拝客はやや多めですね。他の大きな神社に比べたら誰もいないようなものですが。

 正面から撮った写真です。

 奥の鳥居の手前を道路が横切っています。手前の鳥居の左奥にあるのは戻橋を復元したものだそうです。

 ところで戻橋って何ですか。

 今調べたら、晴明の父親が蘆屋道満(あしやどうまん)に殺された場所だそうです。で、晴明が呪術でその父親を蘇生させた場所でもあるとか。この橋の下に晴明は式神を隠していたとか。

 橋の下に晴明が式神を隠していたという話は聞いた事がありましたが、ここでしたかなるほど。

 →こちらが二の鳥居。 右に見えるのは社務所です。

 ←二の鳥居の奥の本殿です。上の写真にも小さく写っていますね。

 提灯に描かれた社紋は当然晴明桔梗(=五芒星)です。

 この写真を撮った位置から右手に社務所、左手に授与所があります。

 授与所には五角形で裏には晴明桔梗が描かれた絵馬などがありました。

 そして、その絵馬を奉納している面子が凄い。

  京極夏彦氏に野村萬斎氏。つのだ☆ひろとかの絵馬もありました。大人気ですね。

 この後、JRで桃山駅まで移動。

御香宮神社

 目的地は御香宮神社(ごこうのみや)です。JR桃山駅から歩いて行ったら鳥居が見えました。しかし御香宮の入り口は右側です。

 最初はあの鳥居の奥にも神社があるのかなと思ったのですが、その鳥居は御香宮の鳥居のようでした。つまりJR桃山駅は御香宮の背後にあったようです。

 そんな風に思っていたわけで、最初は正門じゃない入口から入ってしまっていたのです。→がそれです。

 「御香宮」と書いてあるのですが、ちょっと読みづらいですね。

 完全な余談ですが、ここは鳥羽伏見の戦いの際には薩摩藩の陣地になっていたとか。対する会津藩の陣地がここから歩いて5分の伏見奉行所ですから、良く無事に済んだものです。

 こちらが拝殿入口。拝殿は最近修復されたようで、非常に絢爛豪華な感じですね。また雪が降ってきました。

→が拝殿内部です。

 左に安産祈祷受付とあるように、こちらは安産と子育ての神様という神功皇后がご祭神で、当然安産と子育てにご利益があります。

 この写真を撮る直前まで初宮参りをしている家族の姿がありました。何と言っているのか祝詞をしっかり聞いておけばよかったですね。

 ←が御香宮の名前の由来、ご香水です。

貞観4(862)年9月、境内に清泉が湧き、その香りが四方に広がって、その周囲では様々な奇跡が起こったというので、清和天皇より「御香宮」の名を賜ったとか。

 元は、御諸(みもろ)神社と言ったとのこと。そこへ神功皇后廟でもある、筑紫の香椎(かしい)宮から、祭神神功皇后を伏見の御諸神社へ合祀するよう勅が出て、御諸神社の「御」と香椎宮の「香」をとって「御香宮」と呼ぶようになった、とする説もあるようです。 

 それで、このご香水ですが、環境省の名水百選にも選ばれている名水です。

 ここに写っているおじさんはペットボトルをこれでもかと持参して私らがここにいる間ずっと水を汲んでいました……。

 いやさ、無料ミネラルウォーターとかじゃないんですから、もうちょっと優雅にいけないものかしら。などと思ってみたりしました。折角の水もペットボトルに入れてしまっては、とも。いやあ、じじむさい。説教爺のようだ。

 で、この水を戴いたところ、確かにちょっと香りがあるような気がして、少しまろやかであるような気がしましたが、私は普段からミネラルウォーターの飲み比べなどしている人とは決定的に違うので本当のところはどうなのだかアテになりません。

 そういえば、このご香水に浸すと文字が出てくるおみくじなどもありました。京北にある京都の水源を司る神様が鎮座しているという、貴船神社にも同様のおみくじがあるようです。ちなみに、貴船神社にも行く予定でしたが、貴船神社は山中にあり、雪が降っていたので今回は断念です。次回来ることがあれば、是非参拝したいものです。

 →は御香宮の正門です。

 再びJRに飛び乗り稲荷駅まで移動です。

伏見稲荷大社

 

 稲荷駅はその名前に相応しく駅のつくりからしてこう←です。紅白です。非常におめでたいです。こんなにおめでたい駅は全国探してもないのではありますまいか。

 

 伏見稲荷大社までは駅から徒歩15秒。稲荷駅はこの神社の専用駅のようなものですね。

 さすが全国のお稲荷さんの総本山だけあって鳥居は非常に立派ですね。

 

 ←が二の鳥居です。このあたりまでは車が入ってもいいんですね。こういうところに「いやあ流石はお稲荷さん、商売の神様だけあってやたら禁止とかしないで合理的というかビジネスライクと言うか俗っぽいというかそんな感じですな」とか思う私は病気ですかそうですか。

→こちらが楼門。お稲荷さんはさすがに派手ですね。
額には「伏見稲荷大社」と書いてあります。

 

 ←お稲荷さんなので、当然狛狗は狐です(狛狐?)。
口には鍵だか十手だかよくわからないものを銜えています。

 反対側の狐は玉を銜えています。意味はわかりません。

 由来を尋ねてくれば良かった。

 

 →外拝殿です。釣り下がってる提灯には黄道12星座をかたどった意匠が。

 ←こちらが内拝殿。この真後ろに隣接して本殿があります。

 ご祭神は宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)。

宇迦御魂神は別名保食神(うけもちのかみ)とも言って、伊勢神宮外宮の豊受大神(とようけのおおみかみ)と同じ神であるとされています。

 「宇迦」は食料の意味で、その御魂ですから、宇迦御魂神は食糧を司る神様ということです。特に稲の豊饒を守護する神といわれます。

 白い狐は宇迦御魂神の使いだとされるので、稲荷神社に狐がいっぱい居るわけです。

 

→↓こちらは、奥宮。
↑の内拝殿からさらに奥に行くと石段があり、その上にある建物です。

 

 さて、この建物に向かって右側奥へ進みますと、伏見稲荷名物千本鳥居、とりあえず奥社奉拝所まで続く超連続鳥居のスタートです。

 

 これはもう、鳥居がたくさんあるというより赤いトンネルです。写真ではデジカメが自動調整しているので明るく見えますが、隙間なく鳥居があるので中は暗いです。

 私は子供の頃この鳥居がたくさんある感じが(いや、ここに来たのは初めてで、他のお稲荷さんはここまで凄くないのですけど)どうも苦手で、お稲荷さんを避けていたりしたのですが、これを見ていただければ何となくその辺の感じもわかっていただけると思うんですが別にわからないですかそうですか。

 

 鳥居ジャングルを抜けた先にある奥社奉拝所はこちら→

 あんな不思議ゾーンを抜けてきたからには一体どんな不思議な建物が立っているのだろうと期待するとガックリするくらい常識的な建物です。この右側には授与所があります。

 奥社奉拝所の正面に奉納されている絵馬を見ると、お稲荷さんらしく白い狐の顔をかたどっています。いや、その2本の棒が目なんだからその下に目を描いてやってくれるな。

 

 奥社奉拝所の建物の裏はこのように鳥居の奉納をする場所になっています。うう、だからウジャウジャある鳥居は苦手なんですってば。

 この神社の本殿は山を背にして建っており、この奥社奉拝所から進んで山に登ることも出来ます。で、この鳥居ゾーンは麓から山上のお社をお参りするための場所だそうです。

 この鳥居ゾーンの右側には「おもかる石」というものがあります。この石に祈願をかけて持ち上げます。持ち上げた時、その石の重さが予想よりも軽ければその願いは成就し、予想よりも重ければその願いの成就は厳しいと、そういう不思議石なのです。

 それでは私もひとつ願をかけて持ち上げてみましょう。えいやっ!

 ……いやさ、予想の倍くらいの重さだったんですけど。やんぬるかな。

 

それで、奥社奉拝所から山へ登るための入口がこちら→

 また千本鳥居ですか、このあたりに住んでいれば一生鳥居には困らなさそうですね。

 もう鳥居はたくさんだしまだまだ回りたい神社があったので上まで登るのはやめておきました。

 またJRに乗って京都へ帰還。バスに乗って今度は祇園へ。祇園と言えばその名前の通りズバリの祇園さまこと、八坂神社です。

八坂神社

 ワオ、本当に祇園の大通りの前にありますな。この門は西楼門というそうです。

 

←は↑の門を裏側から見た図です。

 八坂神社のご祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)です。他に、櫛稲田媛命

 素戔鳴尊と言えば破邪ですから、厄除けなどのご利益がありますが、建っている場所が場所なだけに商売の神様としても信仰を集めているようです。

 しっかり調べたわけではないですけど、先程の伏見稲荷のように、商売の神様として祀られているところは門や社殿などが派手なところが多い気がします。やっぱり「ご利益ありましたこれはお礼です」って浄財がっぽがっぽなんでしょうか。

 

→こちらは神楽殿。

 正月とかに巫女さんが舞う場所です。要チェック。

 大量にぶら下がっている提灯は祇園にあるお店などから献納されたもののようですね。

 

 

←は本殿。

 右に写っているのは神楽殿です。本殿の正面すぐ近くに神楽殿は建っています。

 参拝客は伏見稲荷の次に多いという感じでした。

 

 またバスに乗って、今度は下鴨神社へと。

 →には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と書いてありますが、こちらが正式名称です。

 読みの通り、上賀茂神社のご祭神、別雷神(わけいかづちのかみ)の母親、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と祖父、(かもたけつぬみのみこと)を祭っているのがこの下鴨神社/賀茂御祖神社なわけです。

 ちなみに、上賀茂神社、下鴨神社(「かも」の文字が違うので注意)ともに国宝で、さらに世界遺産でもあります。

←は舞殿です。

 今気付いたんですが何で舞殿の写真撮っていながら拝殿や本殿の写真撮ってないんでしょう。

 というわけで、ここの拝殿、本殿の写真はありません。
雪も降っていたしカメラしまっていたんでしょうか。

 

 「史跡 賀茂御祖神社」と書いてある入り口から入ってきたのに、どうもそこは正面ではなかったようです。周囲の案内もその入り口に向かっていたというのに。

 というわけで、参拝を済ませて別の出口から出てみるべ、と移動を開始した我々の前には立派な楼門が。

 →はその楼門を外側から撮ったものです。

←は正面の鳥居です。

 

 さて今度は上賀茂神社へ。こちらにも、賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)という正式名称があります。

 →こちらは一の鳥居。ここをくぐると左右には原っぱが広がります。

←は二の鳥居の手前右側にある外幣殿です。

 上賀茂神社、下鴨神社はともに平安京以前から存在する神社で、賀茂氏の氏神を祭る神社です。さらに、朝廷の保護も受けました。

 

→が二の鳥居です。二の鳥居の奥はばっちり木々で囲まれています。

 正面に見える怪しげな砂の山の拡大図が↓こちら

 

 奥にある建物は細殿といいます。で、手前の怪しげな砂の山は立砂と言って、ご神体の後の山「神山」を模したものだそうです。この神山は神籬(ひもろぎ)といって、神が降りるところであるとされます。鬼門、裏鬼門に清めの砂や塩を盛るのはこの立砂の信仰が起源だということです。

 風俗店などが盛り塩をするのはまたこちらとは別件だということです。

 そちらは、魏呉蜀の三国が争った三国時代を終焉させたのは魏を乗っ取った晋の司馬炎という人物ですが、この人は後宮に女官を一万人も仕えさせていたとか。これだけたくさんいると誰を選ぶのか大変なわけです。

 そこで司馬炎は夜ごと後宮の廊下を羊の牽く車で通り、羊が止まった女官の部屋で寝ていたというのです。で、寵愛を得たい女官からしては是非自分のところへ来て欲しい。そこで、女官たちは羊が自分の部屋の前で停まるように、部屋の入口に羊の好物である竹の葉を挿し、塩を盛っていたそうです。好物を目にした羊はその部屋で停まると、そういうわけですね。これを風俗店などは真似ていると。

 話が逸れました。↑は、土屋というそうです。下の砂地は右の写真にあるとおり、枯山水のように筋をつけて掃き清められています。

 ↑左の橋は社俎橋、右のは樟橋といいます。川は境内を流れる御手洗(みたらし)川。名前の通り手を洗う、禊のための川で、参拝者はこの川の水で身を清めるために、以前はこの神社の境内には手水舎はなかったそうなのです。今はこの川の上流に住宅地やらゴルフ場やらができたので、参拝者は手水舎で身を清めます。

 ↑↓楼門の奥に本殿が見えますね。

↑ピントが手前の木にあってしまっているようで見づらいのですが、結界と言いますか、このように紙垂のついた縄を張って聖別しているような場所が境内にいくつもありました。

 

今度は、今宮神社です。ご祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)となっています。

↑→立派な楼門です。今宮神社の今宮とは、東山の祇園社、つまり八坂神社に対して新しく作られたので今宮という、とする説があるそうです。

 

←は神楽殿か舞殿ですね。
やはり、近所の商店などから奉納された提灯がたくさん下げられています。

 

→は拝殿を横から写したものです。なんで正面から撮った写真がないのやら……相当ボケていたのに違いありません。

←こちらはこの神社といえばこれ、というほど有名なおもかる石というものです。なんかさっきも聞いたような名前ですが。

 こちらのおもかる石は、叩くと石が怒って重くなり、撫でたり拝んだりすると逆に軽くなるそうで。

 実際にやってみたのですが……分かりませんでした。残念。

 

で、この1日色々な神社を散々回ったわけですが、6時を回ってしまったので、さていい加減ここまでか、と今宮神社を出てバス停に向かって歩き出したら立派な鳥居が。

 すわ、この先にも大きな神社が!? と思ったのですが、今宮神社の鳥居→でした。正面に回ってバシリと。

 まあでもその鳥居の先には建勲神社(たけいさおじんじゃ)という織田信長を祀っている神社が実際にあったんですけどね。

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