戦術と、戦略、あるいは感傷

 センディーはノルデンラントのさらに北、山岳地帯を越えたステップ地帯に割拠する民族である。
 遊牧により生活をしており、センディーの男はすべて騎乗に通じた戦士だと言われる。昔からしばしば南下を目論むも、そのたびに帝国に退けられていた。
 死の大地の名がノルデンラントに変わり、統治者が帝国から王国に変わっても、それは変わらない。しかし、ミラノが一年ほど前に攻め寄せたセンディーを散々に打ち破ってからは、目立った動きは見られなかった。民間では交易も始まっていたこともあり、ミラノは彼らを刺激しないよう徐々に兵を減らすことさえもしていたのだ。
「……今頃になってか?」
 怪訝そうなミラノに、ヒューゴーはきっぱりと答える。
「はい。今はまだつなぎ狼煙だけですので、詳細はわかりません。じきに早馬が着けば、細かいこともわかりましょうが」
 ラッセルが席を立った。
「私が力を貸そう! ……と言いたいところだが、呼応して東でも反乱が起きたりしたら面倒だ。兵を連れてきているわけでもないし、私は役に立たないだろうな。来て早々で申し訳ないが帰ることにするよ」
「ああ、それがいいだろう」
 マントを羽織りながら、ラッセルは言う。
「救援が必要だったらいつでも言ってくれ」
「助かる。さ、ユグドラもパルティナに帰るんだろ、護衛なら……」
「帰りませんよ」
「帰りませんよ、って、お前……戦に出るつもりか」
「勿論です」
 ユグドラは、さも当然であるかのように言い放った。
「お前、お忍びでここに来たんだろう?」
「お忍びであろうとなかろうと、王が領民を守るのに何の問題がありますか?」
「そりゃねーけどさ、そういう問題じゃないだろ。て――」
 ミラノはユグドラが帝国の虜囚となったことを口に出そうとしたが、思いとどまった。その時、何があったかは知らないが、救出後七日も意識が戻らなかったというのは、ただごとではない。無闇には思い出させたくない、咄嗟にそう思ったのだ。ミラノの不自然な沈黙に、ユグドラが小さく首をかしげた。
「て、帝国との戦いは済んだんだ。もうお前が危険な目に遭う必要はねーんだよ」
 取り繕うように出た言葉。勿論ユグドラはそんな言葉には納得しない。じっとミラノの目を見たまま、目をそらす気配もない。どう説得したものかと悩んでいるミラノの肩を、いつの間にか後ろに回りこんでいたラッセルが叩いた。
「ノルデンラント伯、こりゃ説得は無理だよ。陛下をしっかりお守りするんだな」
 ミラノが睨みつけても、ラッセルは涼しい顔だ。ユグドラはニコニコしている。
「ああわかった! お前と言い争いしている暇はねえ! 好きにしろ!」
「はい」
「絶対俺の側を離れるんじゃねーぞ」
「ええ」
 ユグドラは大きくうなずいた。
「コブン、召集だ。急げよ」
「はいっ!」

 軍議の場、居並ぶ将校らの沈黙を破ったのは、戦時ではミラノの副将ともなるヒューゴーだった。
「ノースゲートを出て戦うのですか?」
「そうだ」
 ノースゲートというのは死の大地と山岳地帯を隔てる、とりわけ高い山脈を貫く谷の名前だ。北からノルデンラントへ侵攻するにはこの谷を通過するしかない。
 反論したのは元ミラノ団のアントンだ。
「しかしお頭、ノースゲートで守りを固めれば被害は最小限で済みますぜ!」
「ああ、お前の言う通りだ」
 あっさり反論を肯定されたのが意外だったらしく、アントンはきょとんとしている。その顔を見て、ミラノは続けた。
「だがな、ノースゲートの先に住んでるのはセンディーだけじゃないんだぜ」
 ノースゲートの北、センディーと王国の狭間には大草原地帯が広がっており、王国から入植者が移住し、牧畜などで生計を立てている。その他にも、現在はそう数も多くはないが、古くよりグリフォンと共に暮らしてきた部族も住んでいる。平定戦争で散ったミラノの旧知キリエもこの地域の出身だ。
「俺たちがノースゲートを固めれば、まず負けることはねえ。ひょっとしたら戦いにならないかも知れねえな。だがその北の集落は絶対に略奪に遭うな。そいつらを見捨てるのか?」
「ですが……」
「俺らがどうしてここで認められてきたと思うんだ?」
 黙り込んだアントンに代わってヒューゴーが口を開いた。
「伯爵。敵はこちらより多勢です。自ら地の利を捨てて、勝算はあるのですか?」
 先だって早馬がセンディーの兵力はおよそ二千と報告している。すべて騎兵だ。ミラノが今動員できる兵も二千。騎馬は百程度だ。勿論、すべてを城から出すわけにはいかない。最低二百は城に留守居として置かなければならないだろう。純粋に兵力で劣る上に、騎馬の数が違い過ぎる。衝撃力の差は決定的なものだろう。アントンがノースゲートを出て戦うことに懸念を示すのはもっともなことなのだ。
「ある。戦いってのは馬の数で決まるもんじゃねえよ。あのあたりには隠れるのにいい地形がある。任せておけ」
「伏兵、ですか。なるほど」
 ノルデンラントの将校は皆平定戦争でミラノの部下だったか、あるいはミラノの活躍を実際に目で見ることができた者たちばかりだ。だから、このミラノの発言に疑義を挟もうとする者はいない。信頼しているのだ。
 ミラノは周囲を見回して、異議のないことを確認すると、高らかに宣言した。
「なお、今回の戦いには陛下が参戦される。負けられないぞ、お前たち」
 小さくどよめきが起こった。
「陛下」
 ミラノが声を掛けると、ユグドラが隣室より姿を見せた。周囲を見回すと、ゆっくりと、大きな声で話し始める。
「こちらは寡兵。つらい戦いとなるでしょうが、みなさんの活躍を期待しています。ノルデンラントの安定はファンタジニアの安定です」
 そう言うと、ユグドラは右手を掲げた。
「勝利を!」
「応!」
「戦場はノースゲートから北二リーグ、平原の入り口だ。センディーに先を越されたら終わりだ。三時間後に出るぞ。それまでに準備を済ませろ。解散だ」

 手持ちの百騎を五騎ずつの二十の隊に分け、四隊ずつを斥候として四方を確認しながら、本隊は街道を、伏兵部隊は森の中を進む。ミラノ軍は結局センディーを発見したとの報告を受けないまま、平原の入り口にたどり着いた。とりあえず先を越されることはなかったようだ。
 北には大草原が広がっており、その真ん中を街道が突っ切っている。北から現れるセンディーを見逃すことはまずないだろう。一方東西には街道から外れるとすぐに深い森が広がっている。少し離れるだけで、伏兵を見つけるのは至難になるだろう。
 ミラノは左右に陣地構築の指示を出すと、コブンとヒューゴーを呼び出した。
「目の前を見ればわかると思うが、ここからノースゲートまでは街道が通ってる。俺たちはこの道を遮断する」
「止められますか?」
 疑問の形を取ってはいるが、その意味するところは否定だろう。ヒューゴーの言葉に、ミラノはうなずいた。
「まず無理だな。だが完全に止める必要はねえよ。お前の隊はここ、コブン隊は街道の向こうの森に兵を伏せる。挟み撃ちだな。俺ら本隊が相手を止めてる間に矢を浴びせかけるんだ」
「すると、お頭自ら囮になるので?」
「そういうことになるな」
 ヒューゴーが腕を組んだ。
「伯爵は陛下の御身をご心配されていらっしゃるようですが、我々は我々で伯爵の御身を心配せねばならないのですよ?」
 ヒューゴーの言うことはもっともだ。ミラノもそう言われることは予想していた。
「大丈夫だ。今馬防柵を立ててる。槍だって長いのを用意してきた。何の用意もなく、二千の騎馬に五百でまともにやろうってのはさすがに怪しいだろ。罠を疑われる」
 ヒューゴーがミラノが視線を向けた先を見ると、すでに馬防策の準備が始まっていた。
「逆にこれぐらい準備しておかないとダメなんだよ。だから、しばらくは耐えられる。お前たちが予定通りに動いてくれれば、俺は安全だ」
「わかりました」
「任せておいてください」
 そのやり取りを聞いていたユグドラが、横から口を挟んだ。
「では、伏兵に攻撃させる際には私の旗を立てましょう」
 ユグドラの従者が旗を差し出した。ファンタジニア軍をあらわす白鳳旗。その地の色は通常は青だが、これが赤いものは本陣、すなわち王の所在をあらわすものだ。
「お前、こんなもん持って来てたのか……まあそれはいいとして、森の中で旗を立てても見えないだろ」
「何を言ってるんですか、ミラノさんは私に離れるな、って言ったじゃないですか。私は本隊にいるんでしょう?」
「事情が変わったんだよ。お前話聞いてたろ? 今回の作戦では俺の側が一番危険なんだ。そんな所にお前がいてどうするんだ」
 ミラノはまっとうなことを言ったつもりだったが、ユグドラは語気を荒らげて詰め寄ってくる。
「では、ミラノさんは私を守ってくれないんですか?」
「そういう問題じゃないだろ」
 ユグドラはしばらく無言で恨みがましいような視線をミラノに送っていたが、ミラノが動じないと見ると、再度口を開いた。
「伏兵が攻撃する時に旗が立って、いないはずのファンタジニア王がいる、とわかればよりショックは大きいと思うんですよ」
「センディーに旗の意味がわかるのか?」
 ミラノはユグドラが話題をずらしたことに気付いてはいたが、それについてはあえて無視した。本陣にいることについてはユグドラはもう譲らないだろうし、すでにここまで来てしまった以上、自分の目の届く所にいた方がユグドラもより安全と思えたからだ。
「わかったならもうけものということで。うまくいかなくても、旗を立てるだけなんですから」
「暢気だな……わかったならわかったでお前が狙われる原因になるかもしれないんだぞ?」
「それは、だからミラノさんが守ってくれるんでしょう?」
 ユグドラはニコニコしている。
「あのなあ……」
 そこへヒューゴーが口を挟んだ。
「ですが伯爵、こちらの士気高揚には繋がりますよ」
 ミラノは少しの間腕を組んで考えていたが、がくっと肩を落として、うなだれた。
「わかった。好きにしろ」
「はい。そうします」
「じゃ、折角だから攻撃のタイミングは旗が挙がったタイミングにするか。各隊、王の旗を見たら攻撃に移ること。いいな?」
 ところへ、斥候からセンディー接近の報が入った。
「じゃ、ヒューゴー隊、コブン隊は合図があるまで待機だ。私語、大きな音は絶対に出すんじゃねえぞ。破ったら百叩きだ。本隊は準備を急げ。斥候の話だと、あとニ時間もねえぞ」

 すべての馬防柵の設置が終わり、陣地の構築が終わった頃。街道の先に、土ぼこりが巻き上がってるのが見て取れた。
「きやがったな……」
 つぶやいた声が少しかすれていたことで、ミラノは自分が緊張していたことに気付き、少し動揺した。それを隠すように、無言で右に控える副官に、戦闘準備の合図を伝える。 本隊の副官ジェイドは、声が大きいことでこの役目に就いている。
「総員構え! センディーに目に物見せてやれ!」
 ジェイドの声が戦場に響き渡った。

<続く>

Yggdra Union - After - Chapter : 3