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 早起きできるか心配だったんですが意外にサクッと目覚めると、鼻と口が乾燥しています。しまったエアコンつけっぱなしだったか迂闊だったなあと思っていると、どうも乾君が風邪の引き始めの様相。でも大丈夫とのことなのでさっさとチェックアウトを済ませ出雲駅へ直行。

 面倒な重い荷物はコインロッカーに預けてしまいましょう。コインロッカーはどこ? ああ、ありましたありましたコインロッカー室。じゃあ早速、って扉が開かないぞ? ん?

 営業時間8時〜22時?! 今7時ですよ。……今日も今日とて強行軍なので時間を無駄にはできません。泣く泣く大荷物を抱えたまま出雲大社へ向かうことに。

出雲大社

 出雲大社へのバスを待つ間、急に空からバラバラバラっと白い物が。
雪はこんなバラバラっとは降りません。雹でもないようです。ではあられだ。
あられなんて生まれてこの方数度しか見ていないのに、一体なんでこんな時に……。

 バスで出雲大社前に着いたときには、あられはやんでいました。
不幸中の幸いと言うべきか、それとも大国主神が最初は我々を追い返そうとしたのだけれども、
ここまで来てしまってはもう引き返すまいと諦められたのか。

   流石に出雲大社となもると雰囲気が違いますね。

 出雲大社(いずものおおやしろ)は、昔(出雲風土記内の記述などで)は杵築大社(きつきのおおやしろ)と呼ばれていたようです。

 杵築というのはこのあたりの(昔の)地名です。

 明治時代に出雲大社と改名したようです。

 ちなみに、出雲風土記では、杵築大社と(出雲の)熊野大社のみが「大社」であるとされます。

 さらに、杵築大社はこの熊野大社と関係が深かったようで、杵築大社の祭神も素戔鳴尊とされていた時期があるようです。(熊野大社の祭神は素戔鳴尊)

 鳥居の奥、参道がずっと木で囲まれているのがお分かりいただけるでしょうか?

神社を杜という文字で表現することがありますが、まさに「もり」です。 と言うよりもむしろ「結界」と表現すべきでしょうか。

 

と、思わせるようにとにかく、ひたすら静かなのです。 いや、早朝であり、またそのため人がいないというせいもあると思いますけど。

 ですが、静かなのでこの雰囲気なのではなく、この雰囲気が静かにさせているのではないか、と思わせるほどに、とにかく圧倒的な静寂さがありました。

 参道を進んでいくと、最後の鳥居の手前右側にあるのがこの像です。→右側に写っているのが出雲大社の祭神、大国主神(おおくにぬしのかみ)です。

 左側は大国主神の幸魂、奇魂です。

 大国主神は少彦名命(すくなひこなのみこと)と一緒に国造りをしていたのですが、その途中で少彦名命は死んでしまいます。

 さて自分一人でこれから一体どうして行けばいいのだろう、と大国主神が悩んでいると、海を照らしながら来る神がいて、自分を三輪山に祀れば、国造りの手伝いをしよう、と言ったのです。また、自分はお前の幸魂、奇魂である、とも言ったのです。

 左側のオブジェの金色の玉がそれで、下のは海の波なのでしょう。

 三輪山と言えば大神(おおみわ)神社。大神神社は奈良を通過する際に寄る予定ですが、そこの祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)です。

ですから、この幸魂、奇魂は大物主神なのです。また、幸魂、奇魂は魂の一部と考えられるので、大物主神は大国主神の魂の一部、とも言え、しばしば両神は同一視されます。

↑の像の反対側に建っているのが←こちら。

『因幡の白うさぎ』で、毛皮を鮫に剥がれ(あの話に出てくる鰐とは、鮫のことです)、八十神(大国主神の兄達)に騙されて塩水を浴びて苦しんでいるうさぎに、正しいアドバイスをしたのはここの祭神、大国主神です。

 最後の鳥居を入ってすぐのところにあるのがこの拝殿です。大きな注連縄(しめなわ)が目立ちますね。

 注連縄というのは神聖な場所とその外を区別するために使われるものです。

 また、天岩戸から天照大御神(あまてらすおおみかみ)を引っ張り出したあと、再びそこにこもられてはかなわない、とそこに注連縄をした、という話もあり、進入禁止を示す目印でもあったわけです。

 で、それがなぜここにあるのだろう、とちょっと考えてみました。

 勿論神聖な場所だから、という理由でもいいんですが、それなら他の神社もこうであっていいはずなのに、実際には他の神社にはこんな立派な注連縄はないわけで、きっと何か別の理由があるのです。

 進入禁止、入ってくるな、というのは逆向きに考えれば「出てくるな」という意味になります。

 大国主神は神話の中では国譲りという比較的平和な形で支配権を天津神グループに渡していますが、実際には征服と被征服といった関係がそこにあったと考えられます。

 そこで、被征服側の神が祟ってくると怖いわけです。

 日本では征服した側が征服された神(あるいは人間)を祀って、恨まないでくれよと、仕返しされないように、祟られないようにする、ということをよくやるのですが、その中でも大国主神は強力な神であるために、そこから出て来てくれるな、という意味で注連縄があるのではないのかなと。

          

 

 これは父親が言っていた話なので、出典がわからず信用に足る話なのかどうか分かりませんが、↑や↓の写真などを見ていただけると分かると思いますが、この拝殿を正面から見ると柱は7本見えます。奇数本です。柱が奇数本だとその隙間は偶数個あることになります。すると、「中央」がないために中から外へ出て来る事が出来ないということだそうで。

偶数本だと、隙間が奇数のため中央があり、
| | | |→| |●| |
このように中央から出てこられるが

 奇数本では | | | | | 中央が存在しないため、何処から出て行けば良いのか分からない、と。

 天満宮とか、祭神が祟り神で、出てきてもらっては困る建物はそういう構造になっている、と。

 残念ながら構造が分かるような大宰府天満宮の写真がないので、確認はとれていません。

 とすると、この拝殿の、片側だけ前に突き出した妙な構造も中央から出てこられないように、という意味が込められているのだろうか、などと思った次第です。

 それで。

 私は出雲大社では参拝の方式が違う、ということは覚えていたのですが、どう違うのかはすっかり忘却していまして、誰かに訊こうと周囲を見渡すと、襷を掛けて掃き掃除や拭き掃除をする巫女さんが。

 ラピュタは本当にあったんだ!!

 掃除をする巫女さんなんてゲームや漫画の中にしか居ないと思っていましたよ!

 まあ、箒は流石に竹箒ではなかったんですけれども。

 で、他に神職の方の姿も見えないので、まったく合法的に巫女さんに質問をし、出雲大社での参拝方法は「二礼四拍手一礼」であると教わり、それではと拝殿に向かったところ、賽銭箱の横に二礼四拍手一礼としっかり書いてあるではないですか。

 しっかり明記してあることをわざわざ質問するなんて、なんとかきっかけを作って巫女さんに話し掛けたい人みたいじゃないですか! 心外な!

←拝殿の裏側中央です。一見人が通るための扉がありそうな造りですが、しかし扉はありません。

ここの正面に本殿がありますから、神様が通る道ということでしょうか。

 古代には出雲大社の神殿は16丈(48メートル)とか、あるいは32丈(96メートル)の高さがあったとされます。

 その中心となる柱、心御柱(しんのみはしら)と思われる柱が2000年から01年にかけて出土したそうで、それの原寸大模型が→です。右下の白っぽいのは煙草の箱です。いかに太い柱か分かっていただけますでしょうか。

 3本の木を組み合わせて作られた心御柱は直径3.6メートル。さらに、その側にやはり3本の木を組み合わせて作られた直径3メートルの宇豆柱(うづばしら)、側柱(がわばしら)が立てられ、この3本で神殿を支えていたそうです。

 しかし、これだけの柱なら96メートルはまあおくとして、48メートルなら、ひょっとしたらありえるのではないのかななどと思わされます。台風で何度も倒れたという記録も残っているそうです。

 ちなみに、現在の本殿の高さは24メートルだそうです。

 ↑は拝殿の奥です。拝殿の奥は↓このように塀で囲まれており、その中に本殿↑↓(奥の建物)があります。

↑これは本殿を西側から撮ったものです。 普通、神社は南面して建てられ、中の神様も南面しているとされるのですが、こちらの神座は西向きです。つまりこの写真側が大国主神から見て正面になります。この位置からでも参拝できるように賽銭箱が据え付けられ、こちらが大国主神から見て正面であるとの立て札もありました。

 大国主神は西を向いているのです。なぜだろう、と乾先生と考えたところ、西を向いているのではなく、東に背を向けているのではないかと。伊勢に背を向けているのではないかということです。つまりは、自分から国を奪った天照大御神に背を向けているのではないか、と。

 そんな真似ができるのは大国主神くらいでしょうね。

 ←は境内にいくつかある摂社の一つです。
こちらは釜社(かまのやしろ)といって、食べ物の神、宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)を祀っています。

→こちらは東十九社。10月のことを古い言葉で神無月と言いますが、なぜそう言うのかというと、毎年10月には出雲に日本中から神様が集まって、会議をするから、出雲以外には神様はいない、ということでそう言うのです。

 しかし、出雲には神様が集まっているので逆に神在月(かみありづき)と言います。

 それで、その神様が会議のため集まった際に利用する宿舎がこの東十九社。本殿を挟んで反対側には、同じ造りの西十九社があります。

 本殿を囲う塀をつたって後ろまで回り込み、本殿の裏から撮った写真が←こちら。

→こちらは、↑の写真を撮った姿勢のまま反転して撮った写真です。

つまり、本殿の背後にこの建物は建っています。

 この建物は、素鵞社(そがのやしろ)といって、素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祀っています。

 大国主神は素戔鳴尊の娘、須勢理比売命(すせりひめのみこと)と結婚しているので、素戔鳴尊は大国主神の親神にあたります。

 ちなみに、大国主神は本殿で西を向いて鎮座しているので、拝殿から普通に参拝客が本殿を拝すると、大国主神を素通りして素戔鳴尊を拝することになります。

 

 

 こちらは神楽殿です。一緒に人も写っているので、ここの注連縄の異様な大きさは分かっていただけると思います。

 私達がここに来たときは、この注連縄の端っこの部分、円錐状に下に突き出した部分の底面に向かって下から硬貨を投げ込み、藁と藁の間に挟まって落ちてこないようにする、という作業をしていました。うまくやると何かがかなうという謂れでもあったのでしょうか。質問すればよかったですね。

 神楽殿の中では何かをしている様子でしたが、何をしていたのかまでは判然とせず。こちらも質問すればよかったですね。

 最初に訪ねたときは準備中だった宝物殿も一周し終えて来る頃には開いており、拝観させていただきましたが、拝観料が学生30円とまったくそれで儲けるつもりはなく、形式だけ料金取っておこうか、という姿勢が何かクールでいいですね。

 ちなみに、宝物殿にはおおこれぞ神社の宝! というような物はあまりなかったのですが、正宗、村正、菊一文字と名刀が揃って陳列してあって日本刀大好きな私にはもう夢のような空間でした。当然撮影禁止なので残念ながら写真は無し。

 一番最初の鳥居の写真を撮ったあたりから、反転して街の方を撮ってみました。大きな鳥居です。大社までバスできたので近くからは見ていないのですが……石でできているんですかね?

 さて、大社を見終えて、出雲まで来たんだから出雲蕎麦食うベと付近を捜索したところ、蕎麦屋はあるのですが外に値段が書いてないところばかりなので、少々ビクビクしながらも、いや蕎麦でそんな高級なものはあるまいと言いつつ入店。ちなみに、この予想は夏に覆されることになります。

 人の良さそうなおばさんが応対してくれました。「おすすめは何ですか」と尋ねたところ「全部。お蕎麦そのものがおすすめ」とのこと。

「鳥が好きなら鳥蕎麦、とろろが好きならとろろ蕎麦」と。

 ほほう……ご自信がおありのようでとか、何とか思いながら私は鳥蕎麦、乾先生は月見蕎麦を注文。程なくして出てきた鳥蕎麦の麺の雰囲気は、こりゃあ手打ちだ、といった雰囲気が。出雲は山奥で、3月初めの頃の話ですから、暖かい鳥蕎麦が沁みました。

 いや実にうまい。というかこれまで23年近く生きてきてですな、こんなに美味い蕎麦を食べたのは初めてですよ。それは乾先生も同意見だったらしく、いや実に美味い蕎麦であったと、まったりしながら、さてこれからどう動こうかとのろのろと相談していると、おばさんが

「17分に電車が出るから、乗るんだったらそろそろ出た方がいいわよ」とのこと。

 私たちは行きはバスで来たわけなのですが、大体同じくらいの所要時間で、JR出雲駅←→出雲大社と往復する私鉄があるのです。1時間に1本ペースなんですけど。帰りの交通機関のことは全く考えていなかったので、これは本当に助かりました。蕎麦も沁みたしおばさんの心遣いも沁みるねえ、などとすっかり若年寄めいて駅へGo。

 何か昭和初期に建てられていそうなデザインと雰囲気の駅舎を抜けて、ホームへと出るとそこは民家の庭と地続き。何かいい雰囲気だったので写真撮ってみました。

↑そしてまた変な天気。

 出雲駅につくまでにパラパラと降ったり止んだりして、結局出雲駅に着いた時には止んでいたんですけど、そこから先、京都までの道のりの長かったこと……。

 基本的に降ったり止んだりの妙な天気だったのですが、鳥取を出たあたりから嵐のような状態になり、途中で強風のため30分ほどの大停止。

 私達は当日中に京都入りするにあたり一番最後となる電車を乗り継いでいるので、こいつは大問題です。ちょっと遅れただけで乗り継ぎ不能になって京都入りできない可能性があります(京都圏に入ってしまえばその後は電車は結構あるのですけど)。

 慌てて乗り継ぎの駅、浜坂駅で駅員に尋ねたんですけど、流石に最後の電車というだけあって待ってくれていました。

 ほっと一安心したものの、そこから京都までの間に今度は人身事故が。さらに1時間停止+謎のツアー客に大遭遇。大疲弊。

 結局予約したユースホステルの最寄駅に着いたのは10時過ぎ。10時を過ぎる時は電話をくださいと言われていたので電話したところ、10時を過ぎるとユースホステルまでのバスがないそうです。

 と言っても、歩いて行ったら40分とかそれくらいかかるのです。相次ぐトラブルに疲弊し切った我々がそんな真似をしたら街中でも遭難します。というわけで、適当に飯を済ませた後、雨も降っていますし、ヘイタクシー!

 ユースホステルに泊まるというのにタクシーとは、なんともちぐはぐなことをしている気分です。運転手の人に「いやあ酷い目に遭いましたはっはっは」と顛末を説明したところ、「いやこちらもけったいな天気でしたわ」とのこと。「降ったり止んだり、風が吹いたり止んだり、ずっともうおかしな具合でしたわ」と。

 ああなるほど、京都もずっとそんな調子だったのですか。いや全く参りますねえ旅慣れない者がいきなりこんな仕打ちを受けたら本当に参ってしまいますよ、などと話していたらユースホステルに着きました。もう11時前です。消灯が11時でしたので、もう何もできませんし、風呂にも入れず就寝です。無念。

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